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大伴東人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大伴東人
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下弾正弼
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 大伴氏
父母 父:大伴真広
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大伴 東人(おおとも の あずまひと/あずまんど)は、奈良時代貴族歌人。大伴真広の子とする系図がある[1]官位従五位下弾正弼

経歴

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天平12年(740年聖武天皇の東国行幸に従駕し、美濃国当伎郡の多芸行宮で詠んだ和歌が『万葉集』に採録されている[2]

天平宝字2年(758年淳仁天皇の即位に伴って従五位下叙爵。天平宝字5年(761年武部少輔、天平宝字7年(763年少納言と淳仁朝で京官を歴任する。

称徳朝に入ると任官記録が途絶えるが、称徳朝末の神護景雲4年(770年)6月に散位助に任ぜられ、称徳天皇崩御後の8月には周防守に任ぜられ地方官に転じる。

光仁朝の宝亀5年(774年弾正弼に任ぜられ京官に復している。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『伴党水党並甲賀由緒書』内閣文庫所蔵
  2. ^ 『万葉集』巻6

参考文献

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