大伴東人
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下弾正弼 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 大伴氏 |
父母 | 父:大伴真広 |
大伴 東人(おおとも の あずまひと/あずまんど)は、奈良時代の貴族・歌人。大伴真広の子とする系図がある[1]。官位は従五位下・弾正弼。
経歴
[編集]天平12年(740年)聖武天皇の東国行幸に従駕し、美濃国当伎郡の多芸行宮で詠んだ和歌が『万葉集』に採録されている[2]。
天平宝字2年(758年)淳仁天皇の即位に伴って従五位下に叙爵。天平宝字5年(761年)武部少輔、天平宝字7年(763年)少納言と淳仁朝で京官を歴任する。
称徳朝に入ると任官記録が途絶えるが、称徳朝末の神護景雲4年(770年)6月に散位助に任ぜられ、称徳天皇崩御後の8月には周防守に任ぜられ地方官に転じる。
光仁朝の宝亀5年(774年)弾正弼に任ぜられ京官に復している。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字2年(758年) 8月1日:従五位下
- 天平宝字5年(761年) 10月1日:武部少輔
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:少納言
- 神護景雲4年(770年) 6月3日:散位助。8月22日:周防守
- 宝亀5年(774年) 3月5日:弾正弼