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大久保郵便局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大久保郵便局(おおくぼゆうびんきょく)

大久保簡易郵便局(おおくぼかんいゆうびんきょく)


大久保郵便局
大久保郵便局
基本情報
正式名称 大久保郵便局
前身 大久保郵便受取所
局番号 86114
設置者 日本郵便株式会社
所在地 018-1499
秋田県潟上市昭和大久保町後46-1
位置

北緯39度51分59.4秒 東経140度3分29.4秒 / 北緯39.866500度 東経140.058167度 / 39.866500; 140.058167 (大久保郵便局)座標: 北緯39度51分59.4秒 東経140度3分29.4秒 / 北緯39.866500度 東経140.058167度 / 39.866500; 140.058167 (大久保郵便局)

地図
貯金
店名 ゆうちょ銀行 代理店
保険
店名 かんぽ生命保険 代理店
特記事項
ATMホリデーサービス実施
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大久保郵便局(おおくぼゆうびんきょく)は、秋田県潟上市昭和大久保にある郵便局民営化前の分類では集配特定郵便局であった。

概要

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1886年明治19年)7月の火災により、大久保郵便局の集配業務は下虻川郵便局に移管。1902年(明治35年)11月に大久保郵便受取所として再開するも、集配業務は再開されることはなかった。このため、地域住民から集配業務の再開が望まれていた。歴代の大久保村村長が集配業務再開の陳情を行ったりしたものの、再開は認められなかった。

1939年昭和14年)7月に飯田川郵便局は、集配業務や電報配達業務、電話交換業務を行うには局舎が手狭になったため、新築移転し八郎潟郵便局[1]に改称した。これに伴い、集配業務の一部が大久保郵便局に移管され、53年ぶりに集配業務が再開された。

沿革

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  • 1872年(明治5年) - 大久保郵便受取所として開設[2]
  • 1873年(明治6年) - 廃止。
  • 1880年(明治13年)7月1日 - 大久保郵便局(五等)として再設置。
  • 1886年(明治19年)
    • 2月16日- 貯金取扱を開始。
    • 7月20日 - 火災により局舎全焼。集配業務を下虻川郵便局に移管。
  • 1887年(明治20年)3月31日 - 廃止。
  • 1902年(明治35年)11月16日 - 大久保郵便受取所として再々設置。同日より為替、貯金取扱を開始。
  • 1905年(明治38年)4月1日 - 大久保郵便局となる。
  • 1907年(明治40年)12月1日 - 電信事務を開始[3]
  • 1921年大正10年)10月16日 - 電話通話事務を開始[4]
  • 1939年(昭和14年)7月21日 - 集配事務を開始[5]
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 追分郵便局から南秋田郡昭和町乱橋、佐渡、八丁目地区の集配業務を移管。
  • 1969年(昭和44年)2月23日 - 和文電報配達業務を飯田川電報電話局に移管[6]
  • 2007年平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業秋田支店大久保集配センターに一部業務を移管。
  • 2012年(平成24年)10月1日 - 日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業秋田支店大久保集配センターを大久保郵便局に統合。

取扱内容

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周辺

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アクセス

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脚注

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  1. ^ 1971年5月に再度飯田川郵便局に改称。現在の八郎潟郵便局とは別。
  2. ^ 山口修監修 『全国郵便局沿革録 明治編』 日本郵趣出版 1980年12月28日発行
  3. ^ 明治40年逓信省告示第763号(明治40年11月27日付官報第7325号掲載)
  4. ^ 大正10年逓信省告示第833号(大正10年10月14日付官報第2762号掲載)
  5. ^ 昭和14年逓信省告示第2089号(昭和14年7月19日付官報第3760号掲載)
  6. ^ 昭和44年郵政省告示第103号(昭和44年2月17日付官報第12650号掲載)

外部リンク

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