大久保主計家
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大久保主計家(おおくぼかずえけ)は、江戸時代の讃岐国高松藩藩士で、大老職を世襲した家。
概要
[編集]初代藩主松平頼重の庶弟ともいう大久保公忠が初代。代々の当主は、「主計」「飛騨」「一学」を通称とした。大老は、家老の上に位置する家臣の最高位で、藩政当初は、肥田、彦坂、大久保の3家から大老が出ていたが、後に大久保家が独占することとなった。公忠の血統は5代新蔵で絶え、藩主松平家より頼辰が養子入りし、以降は、事実上藩主一門となった。頼辰は、明和2年(1765年)2月、藩主の命で藩主一門に復帰し、名を頼起と改め、安永9年(1780年)に第7代藩主となる。幕末の当主頼均(大久保協)は、明治2年(1869年)に明治新政府より高松藩大参事に任命された。
歴代当主
[編集]- 大久保公忠 - 水戸藩主・徳川頼房の庶子(一説による)。
- 大久保公卓 - 公忠の子。正室は初代藩主・松平頼重の娘・彦姫。
- 大久保守羨 - 公卓の弟。
- 大久保公敦 - 守羨の子。正室は第3代藩主・松平頼豊の娘・愛姫。
- 大久保新蔵(公明) - 公敦の子。
- 大久保頼辰 - 第5代藩主・松平頼恭の四男。のちの第7代藩主・松平頼起。
- 大久保頼裕 - 第5代藩主・松平頼恭の七男。のちの松平頼裕。
- 大久保頼郁 - 頼裕の子。
- 大久保公純
- 大久保公暉(頼暉)
- 大久保頼均(協) - 一門・松平頼顕(一楽)の三男。第8代藩主・松平頼儀の孫。
系図
[編集]大久保公吉 | 徳川頼房水戸1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(実父?) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大久保公忠1 | 松平頼重高松1 | 徳川光圀水戸2 | 松平頼元額田1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公卓2 | 彦姫 | 守羨3 | 徳川綱條水戸3 | 松平頼章 | 松平頼芳 | 松平頼常高松2 | 松平頼貞守山1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公敦4 | 松平頼豊高松3 | 松平頼煕 | 松平頼恭高松5 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新造5 | 愛姫 | 徳川宗堯水戸4 | 松平頼桓高松4 | 松平頼真高松6 | 頼辰6→ 松平頼起高松7 | 松平頼昌 | 頼裕7→ 松平頼裕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳川宗翰水戸5 | 松平頼儀高松8 | 松平頼格 | 頼郁8 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳川治保水戸6 | 松平頼胤高松10 | 松平頼顕 | 公純9 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳川治紀水戸7 | 頼均11 | 公暉10 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳川斉脩水戸7 | 松平頼恕高松9 | 徳川斉昭水戸8 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献
[編集]- 『増補高松藩記』