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多聞院 (鎌倉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多聞院

本堂
所在地 神奈川県鎌倉市大船2035
位置 北緯35度20分46.3秒 東経139度32分44.2秒 / 北緯35.346194度 東経139.545611度 / 35.346194; 139.545611座標: 北緯35度20分46.3秒 東経139度32分44.2秒 / 北緯35.346194度 東経139.545611度 / 35.346194; 139.545611
山号 天衛山[1](てんえいさん)
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 毘沙門天[1]
創建年 天正7年 (1579年) (伝)
開山 南介僧都 (伝)
開基 甘糟長俊[注釈 1](伝)
正式名 天衛山 福寿寺[1] 多聞院
文化財 木造毘沙門天立像など(本文参照)
法人番号 4021005001928 ウィキデータを編集
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多聞院(たもんいん)は、神奈川県鎌倉市大船に所在する真言宗大覚寺派寺院で、山号は天衛山という。 寺伝によれば、創建は天正7年(1579年)で、開山は南介僧都、開基は甘糟長俊である[2]本尊毘沙門天

歴史

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多聞院は鎌倉市山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺が前身で、永享の乱で衰えた際に甘粕長俊が現位置に移転して名を改め、南介僧都を迎えて天正7年(1579年)に創建したと伝えられている。もと鎌倉市手広青蓮寺の末寺だったが[1]、1950年(昭和25年)に青蓮寺の前住職である草繋全宜が京都大覚寺門跡となったため、同寺の末寺となった。

寺宝

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仏像

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  • 本尊 木造毘沙門天立像 - 年代不詳[3]弘法作(伝)[1]
  • 木造聖観音菩薩坐像 - 室町時代
  • 木造地蔵菩薩立像(延命地蔵尊) - 室町時代
  • 木造十一面観音菩薩坐像 - 江戸時代
  • 木造十一面観音立像 - 江戸時代
  • 木造牛頭天王倚像 - 年代不詳
  • 木造弘法大師坐像 - 室町時代
  • 木造弁財天坐像 - 江戸時代
  • 木造地蔵菩薩立像(とげぬき地蔵尊) - 江戸時代
  • 木造薬師如来坐像 - 江戸時代
  • 鋳造稚児太子坐像 - 1975年(昭和50年)3月
  • 木造大日如来坐像 - 1988年(昭和63年)
  • 木造不動明王像 - 年代不詳
  • 木造不動明王及両脇侍立像 - 三躯、江戸時代
  • 木造愛染明王坐像 - 江戸時代
  • 木造地蔵菩薩半跏像 - 江戸時代
  • 木造地蔵菩薩立像 - 江戸時代

仏画

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額草

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  • 「福寿寺」 - 中野蘭疇、1970年(昭和45年)

塗椀

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  • 白檀塗椀 一口 - 天正年間

古文書

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その他

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  • 半鐘 - 1970年(昭和45年)4月19日

交通

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脚注

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注釈

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  1. ^ 通称 太郎左衛門尉、粟船(現大船)の名主といわれている。

出典

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  1. ^ a b c d e 新編相模国風土記稿 大船村 多聞院.
  2. ^ 浅井 修證『多聞院の佛さま』同寺刊、1992年7月発行(p.1)
  3. ^ 年代は浅井修證著『多聞院の佛さま』、pp.6 - 37による。以下も同じ。

参考文献

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  • かまくら春秋社『鎌倉の寺 小辞典』2011年12月30日 発行
  • 吉川弘文館『鎌倉古社寺辞典』2011年7月10日 発行
  • 槙野修 著、山折哲雄 監修『鎌倉の寺社 122を歩く』2013年3月20日 発行
  • 同寺刊、浅井修證 著『多聞院の佛さま』1992年7月 発行
  • 「山之内庄大船村多聞院」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之98村里部鎌倉郡巻之30、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/44