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多田鼎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ただ かなえ

多田 鼎
生誕 1875年10月3日[1]
日本の旗 日本・愛知県宝飯郡五井村(現在の蒲郡市)[2][1]
死没 (1937-12-07) 1937年12月7日(62歳没)[2][1]
国籍 日本の旗 日本
別名 慶悟(法名)[2][3]
職業 学僧[2]宗教家[3]
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多田 鼎(ただ かなえ、1875年明治8年)10月3日 - 1937年昭和12年)12月7日)は、日本の学僧[2]、宗教家[3]

来歴

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愛知県宝飯郡五井村(現在の蒲郡市)の常円寺で生まれる[2][1]

1896年(明治29年)に真宗大学へ進学、白川党清沢満之らによる宗派変革活動)に加入して大学を退校(次年には復校)することとなる[1]

1900年(明治33年)、清沢満之の仮宅浩々洞において暁烏敏佐々木月樵などと「精神主義」に身を投じる[1][4][5]

また、浩々洞の機関誌『精神界[6][2]』の刊行を1901年(明治34年)に始める[1]

1902年(明治35年)、真宗大学教授に就任したが、就任直後に当時の真宗大学学長である清沢満之とともに辞任する[7]

1914年(大正3年)には「動転」により、清沢とは立場を異にすることになる(詳細後述)。

1923年大正12年)には雑誌『みどりご』を刊行し、1924年(大正13年)には大谷派伝道講究院初代院長となる[7]

宗教的「動転」

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1914年(大正3年)、多田鼎は雑誌『精神界』(第14巻第9号 大正3年9月号)に「私は是の如く動転せり」を、同じく『精神界』(第14巻第11号 大正3年11月号)に「願はくば我が昨非を語らしめよ」を掲載し[8][9][10]、自身の宗教的思考が「動転」したことを公表した[11][12][13][7]。これを境に「精神主義」から「伝統教学」的な信条に変わり[12][11]、清沢満之の思想とは異なるものとなる[11]

著書

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  • 『正信偈本義』[14]
  • 『歎異鈔講話』[15]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 村上専龍「多田先生の年譜」多田鼎『[みどりご 法語集』百華苑、1969年、pp.566 - 569(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d e f g 多田鼎」『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツhttps://kotobank.jp/word/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E9%BC%8Eコトバンクより2024年11月14日閲覧 
  3. ^ a b c 宗教家 多田鼎」久米康裕『三河知名人士録』尾三郷土史料調査会、1939年、p.584(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「浩々洞 宮崎顗 第一章 その歴史 1 精神主義時代」教化研究所(編)『清沢満之の研究』教化研究所、1957年、pp.343 - 345
  5. ^ 宮崎顗「浩々洞」『清沢満之の研究』教化研究所、1957年、pp.343 - 345(リンクは国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 精神界発行所(編)『精神界』第2巻第3号、精神界発行所、1902年3月10日(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b c 多田鼎師略歴」多田鼎『祖聖の国』百華苑、1962年、奥付(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 多田鼎『多田鼎集』第3巻 同朋舎、1942年、凡例 P.3(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 多田鼎「私は是の如く動転せり」『多田鼎集』第3巻 同朋舎、1942年、pp.241 - 273(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 多田鼎「願はくば我が昨非を語らしめよ」『多田鼎集』第3巻 同朋舎、1942年、pp.274 - 310(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b c 春近敬「多田鼎の信仰変容に関する一考察」『現代と親鸞』第16巻、真宗大谷派親鸞仏教センター、2008年、26-28頁。 
  12. ^ a b 寺山俊昭『本願寺教団 :親鸞は現代によみがえるか』学芸書林、1971年、p.193(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 松原祐善「金子大榮先生の若き日を偲びて」『大谷学報』第57巻第1号、大谷学会、1977年6月、69頁。 
  14. ^ 多田鼎(著)「正信偈本義」多田謹爾(編)『多田鼎集』第1巻 同朋舎、1940年、pp.2 - 256(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 多田鼎『歎異鈔講話』無我山房、1910年(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)

外部リンク

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