多治比乙麻呂
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多治比 乙麻呂(たじひ の おとまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は真人。位階は従五位下。多治比屋主の第2子[1]。
経歴
[編集]称徳朝の天平神護元年(765年)正月、改元とともに日置蓑麻呂・多治比長野・中臣習宜山守・下道色夫多・弓削秋麻呂・弓削牛養らとともに外従五位下から内位の従五位下に昇叙[2]。同年10月の称徳天皇の紀伊行幸の際、御前次第司次官をつとめた。この時の長官は、のちの光仁天皇となる白壁王。御後次第司長官は大中臣清麻呂、次官は藤原小黒麻呂[3]。
『万葉集』に、
霞立つ 野の上(うへ)の方(かた)に 行(ゆ)きしかば うぐひす鳴きつ 春になるらし (霞の立っている 野の上の方に 行ってみたら うぐいすが鳴いていた もう春になるらしい)[4]
が収録されている。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
脚注
[編集]参考文献
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