多摩田園都市開発年表
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多摩田園都市開発年表(たまでんえんとしかいはつねんぴょう)
多摩田園都市(たまでんえんとし)とは、東急グループによって開発が行われた、民間事業としては日本最大規模のニュータウンである。ここでは、その開発年表を編年式で記述する。
前史
[編集]- 1918年(大正7年)9月2日 田園都市株式会社(資本金50万円)設立。 社長に中野武営、相談役に渋沢栄一就任[2]。
- 1919年(大正8年)8月22日 渋沢秀雄、田園都市視察のため欧米11カ国訪問に出発
- 1922年(大正11年)6月 田園都市株式会社、洗足地区(現在の目黒区洗足二丁目、品川区小山七丁目)にて洗足田園都市の土地分譲を開始[3]。
- 1922年(大正11年)7月22日 鉄道部門を分離独立させることとなり目黒蒲田電鉄株式会社(後の東京急行電鉄株式会社)発起人総会開催(代表竹田政智)
多摩田園都市開発年表
[編集]- 1953年(昭和28年)1月10日 東京急行電鉄株式会社臨時建設部城西南地区開発班設置
- 1953年(昭和28年)1月19日 東急電鉄会長五島慶太、大山街道沿いの地主58名を招き「城西南地区開発趣意書」( 原文)を発表
- 1953年(昭和28年)3月 宮前開発実行委員会結成。宮前地区165万m2(50万坪)買収計画立案
- 1953年(昭和28年)11月4日 宮前開発実行委員会結成と165万m2(50万坪)の土地取りまとめに関する団体契約締結
- 1953年(昭和28年)12月17日 東急不動産株式会社設立(資本金3億円)
- 1953年(昭和28年)12月31日 宮前地区の土地買収で70万3200m2(21万2720坪)の契約完了
- 1954年(昭和29年)1月1日 東急電鉄、東急不動産に田園都市事業・砂利事業・造園事業の一部を譲渡
- 1954年(昭和29年)1月16日 川崎市馬絹に最初の現地開発事務所を開設(同年4月16日城西南宮前開発事務所と命名)
- 1954年(昭和29年)3月30日 東急ターンパイク(渋谷~江ノ島間有料自動車専用道路)免許申請。
- 1954年(昭和29年)4月 東急電鉄、「西南衛星都市の経営」策定
- 1954年(昭和29年)5月 旧陸軍東部62部隊演習場跡地(川崎市馬絹字三ツ又、大野、同宮崎字新鷺沼)の土地買収中止(30年6月頃まで)
- 1955年(昭和30年)4月1日 東急電鉄城西南地区開発班を衛星都市建設班と改称(同年5月4日衛星都市建設部と改称)。城西南宮前開発事務所を宮前開発事務所と改称。
- 1955年(昭和30年)5月4日 東急住宅5万戸建設計画発表
- 1955年(昭和30年)5月 横浜市港北区元石川町所在の土地68万m2(20万坪)買収計画決定
- 1955年(昭和30年)6月 宮前開発促進会が結成され、売買契約の解除を通告される
- 1955年(昭和30年)7月 宮前地区の買収地に20%(野川地区は30%)の追加支払い実施
- 1955年(昭和30年)8月17日 荏田開発事務所開設
- 1955年(昭和30年)9月 野川開発委員会発足
- 1955年(昭和30年)11月10日 都田・中里地区(横浜市港北区)各83万m2(25万坪)買収計画決定。田奈地区(横浜市港北区)330万m2(100万坪)買収計画決定
- 1956年(昭和31年)1月 城西南地区都市計画の基本構想まとまる
- 1956年(昭和31年)3月31日 宮前地区の土地買収面積が128万3000m2(38万8000坪)に達す
- 1956年(昭和31年)4月28日 宮前開発促進会のメンバー100名が土地売却残代金の全額支払いと土地代の値上げを求めて、東急本社玄関前に座り込む(むしろ旗事件)
- 1956年(昭和31年)5月8日 山内開発委員会と66万m2(20万坪)の土地取りまとめに関する団体契約締結
- 1956年(昭和31年)6月 城西南地区都市計画を多摩川西南新都市計画と改称
- 1956年(昭和31年)7月 会長五島慶太が田奈地区の鈴木・土志田の両名宅を訪問
- 1956年(昭和31年)7月23日 新玉川線渋谷~二子玉川園間地方鉄道敷設免許申請
- 1956年(昭和31年)7月25日 第40回政策委員会で「多摩川西南新都市計画」決定
- 1956年(昭和31年)7月31日 多摩川西南新都市計画を首都圏整備委員会に提出
- 1956年(昭和31年)7月 東京都町田町鶴間に、東急線誘致委員会発足
- 1956年(昭和31年)8月 下恩田開発委員会発足(後に田奈開発委員会と改称)
- 1956年(昭和31年)9月28日 大井町線溝ノ口~長津田間地方鉄道敷設免許申請
- 1956年(昭和31年)10月16日 衛星都市建設部発足
- 1956年(昭和31年)11月26日 宮前地区の契約土地代80%支払い実施と野川地区市街地建設計画着手を決定
- 1956年(昭和31年)9月29日 溝ノ口 - 長津田間地方鉄道敷設免許申請
- 1957年(昭和32年)1月14日 地方鉄道敷設免許申請を溝ノ口 - 中央林間間に変更
- 1960年(昭和35年)9月20日 溝ノ口 - 中央林間間地方鉄道敷設免許交付
- 1963年(昭和38年)10月11日 溝ノ口 - 長津田間着工
- 1966年(昭和41年)4月1日 田園都市線溝の口 - 長津田間開業
- 1968年(昭和43年)4月1日 田園都市線長津田 - つくし野間開業
- 1972年(昭和47年)4月1日 田園都市線つくし野 - すずかけ台間開業
- 1976年(昭和51年)10月15日 田園都市線すずかけ台 - つきみ野間開業
- 1977年(昭和52年)4月7日 新玉川線開通(当初は田園都市線と直通せず)
- 1977年(昭和52年)5月25日 田園都市線あざみ野駅開業
- 1979年(昭和54年)8月12日 田園都市線・新玉川線の全面直通運転開始
- 1984年(昭和59年)4月9日 田園都市線つきみ野 - 中央林間間開業
- 1993年(平成5年)3月18日 横浜市営地下鉄あざみ野駅まで延伸
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 洗足時代の田園都市株式会社本社
- ^ 東京急行電鉄株式会社, ed. (1943), 東京横浜電鉄沿革史, 東京急行電鉄
- ^ 多摩川誌|第8編 流域の経済と都市化 第4章 集落・都市 第3節 下流地域 3.2 住宅地域の開発 3.2.1 郊外電鉄と田園都市(昭和61年3月29日発行)