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多摩川浅間神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅間神社

拝殿
地図
所在地 東京都大田区田園調布1-55-12[1]
位置 北緯35度35分14.5秒 東経139度40分7.1秒 / 北緯35.587361度 東経139.668639度 / 35.587361; 139.668639 (多摩川浅間神社)座標: 北緯35度35分14.5秒 東経139度40分7.1秒 / 北緯35.587361度 東経139.668639度 / 35.587361; 139.668639 (多摩川浅間神社)
主祭神 木花咲耶姫命[1]
社格村社
創建 鎌倉時代文治年間[2]
本殿の様式 浅間造
別名 多摩川浅間神社
例祭 6月1日[1]
地図
浅間神社の位置(東京都区部内)
浅間神社
浅間神社
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多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は東京都大田区田園調布にある神社。旧・下沼部村(田園調布の南半分)の鎮守。登記上の宗教法人名称は浅間神社(せんげんじんじゃ)。

概要

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全国にある浅間神社の一社。本殿の建築様式は浅間造であり、これは東京都内では唯一[2]。社殿は浅間神社古墳の上に建てられており、間に東急東横線を挟んで多摩川台公園舌状台地に連なる。社殿までの参道は多数の溶岩が置かれ、富士塚のように富士登山を模している。

富士山本宮浅間大社同様に、木花咲耶姫命を主祭神とし、熊野神社赤城神社を合祀している。

歴史

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鹿形埴輪・馬形埴輪(いずれも複製)
大田区立郷土博物館展示。

社地は古代に前方後円墳が築かれていた場所であり、本殿の場所が、後円部にあたる。

創建は鎌倉時代の文治年間(1185年1190年)と伝えられる[2]

源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。[2]

その後、1652年承応元年)5月に浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行ったという。これにならい、現在も6月に例祭を行っている。[2]

1907年明治40年)に『一村に一神社』という合祀のための政令が出されたため、当時の東京府荏原郡調布村大字下沼部にあった赤城神社熊野神社、浅間神社の三社のうち前二社を当社に合祀する[2]

境内

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摂末社

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  • 阿夫利神社
  • 三峯神社
  • 稲荷神社
  • 小御嶽神社

富士講

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境内には、富士講中興の祖である食行身禄の石碑がある[2]明治15年に地元の講社が33回目の登山を記念して建てたものである。この石碑の字を書いたのは勝海舟である[2]

氏子地域

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アクセス

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東急電鉄東横線目黒線多摩川線多摩川駅徒歩2分[1]

脚注

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参考文献

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関連文献

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関連項目

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外部リンク

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