壺中天
壺中天[1][2](こちゅうてん)とは、中国の神仙思想において、壺の中にあるとされる別世界(仙境)。
壺中之天[3](こちゅうのてん)、壺中の天[4]、壺中の天地[5]、壺中日月[3](こちゅうじつげつ)などともいう。壷中天とも書く。
由来
[編集]後漢のあるとき、費長房という男が楼上から市場を眺めていると、薬売りの老翁が、閉店後に軒先に吊るしてあった壺の中に飛び込むのを目撃した[2]。翌日、費長房はその老翁を訪ね、壺の中に同行させてもらった[2]。壺の中には広大な別乾坤があり、宮殿がそびえ、仙人が暮らし、美酒佳肴があふれていた[2]。老翁の正体が仙人だと判明すると、費長房は老翁の弟子となり様々な神術を教わった[3]。
ここでいう「壺」は、人工の壺ではなくヒョウタン(瓠)を指す[2][7]。「壺」と「瓠」は音通する[2][7]。
老翁は、『後漢書』では単に「老翁」と呼ばれるが、『神仙伝』では「壺公」と呼ばれる[8]。『太平御覧』巻664では「歴陽の謝元」として出身地と姓名も伝わる[8]。同じ故事は、後世の『蒙求』「壺公謫天」や『三才図会』[6]などでも伝えられる。
別の故事もあり、『雲笈七籤』巻28によれば、施存という男が壺中に天を生み出す術を使い、人々に「壺公」と呼ばれたとされる[9][10]。
類例
[編集]壺だけでなく、山中の洞窟(洞天福地[1][11]・桃源郷[1])、夢(邯鄲の夢)[12][13]、棺[1]などの中にも別世界があるとされた。
壺に関する類例として、東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛州)の異名に「三壺山」(蓬壺・方壺・瀛壺)があることや[14][7]、『西遊記』の銀角の武器[7]、『関尹子』二柱篇の一節[15]などが挙げられる。中国各地の民俗には、壺にまつわる起源神話[16]や葬送儀礼[17]がある。
影響
[編集]中国文学では、宋之問[18]・李白[3]・李賀[19]・李商隠[3]・蘇軾[20]の詩に壺中天が登場する。禅僧圜悟克勤の語録に由来して「壺中日月長」という禅語もある[21]。
内丹術において、人体が壺中天に見立てられることもあった(大宇宙と小宇宙)[2]。
壺中天は日本でも親しまれている[18]。江戸時代の文人・服部南郭は、自身の書斎(隠逸と文房趣味の場)を壺中天に見立てている[22]。現代でも店名や作品名などに広く使われている。「酒を飲んで俗世のことを忘れる楽しみ」という意味でも使われる[4][5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 加藤 2016, p. 32f.
- ^ a b c d e f g 三浦 1995, p. 70f.
- ^ a b c d e 小南 1989, p. 167.
- ^ a b 『壺中の天』 - コトバンク
- ^ a b 『壺中の天地』 - コトバンク
- ^ a b “佐藤義寛のホームページ|第十三房 第二講義楼/第一室 文化研究講義内容”. www2.otani.ac.jp. 大谷大学. 2024年6月8日閲覧。
- ^ a b c d 佐々木 2016, p. 154.
- ^ a b 三浦 1995, p. 148.
- ^ 三浦 1995, p. 149.
- ^ 小南 1989, p. 168.
- ^ 三浦 1995, p. 75.
- ^ 加藤 2016, p. 34.
- ^ 三浦 1995, p. 72.
- ^ 小南 1989, p. 169.
- ^ 小南 1989, p. 174.
- ^ 加藤 2016, p. 35.
- ^ 小南 1989, p. 182;207.
- ^ a b 三浦 1995, p. 150.
- ^ 沓掛良彦『壺中天酔歩 中国の飲酒詩を読む』大修館書店、2002年。ISBN 9784469232202。4頁。
- ^ 三浦 1995, p. 158f.
- ^ “壺中日月長 | 禅語 | 臨黄ネット”. 日本の禅 臨済宗・黄檗宗の公式サイト 臨黄ネット. 2024年6月9日閲覧。
- ^ 日野龍夫 著「桜と日本近世漢詩」、荒井健 編『中華文人の生活』平凡社、1994年、556頁。ISBN 4582482066。
参考文献
[編集]- 小南一郎「壺型の宇宙」『東方學報』第61号、京都大學人文科學研究所、1989年。 NAID 110000282371 。
- 武田雅哉 ; 加部勇一郎 ; 田村容子 編『中国文化 55のキーワード』ミネルヴァ書房、2016年。ISBN 9784623076536。
- 加藤千恵「楽園と庭園 桃源郷と壺中天」2016年。
- 佐々木睦「桃とヒョウタン 永遠と無限のシンボル」2016年。
- 三浦國雄『風水 中国人のトポス』平凡社〈平凡社ライブラリー〉、1995年(原著1988年)。ISBN 9784582761054。