墳崎敏之
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墳崎敏之(つかさき としゆき、1946年7月31日 - )は日本の大蔵官僚、弁護士。血液型はO型[1]。東海財務局長、近畿財務局長、大臣官房審議官(大臣官房担当)、財政金融研究所次長などを歴任。
来歴
[編集]東京都台東区出身(父は茨城県、母は静岡県)[1]。東京教育大学附属中学校・高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[2]。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)に6番で合格[3]。司法試験にも合格。1970年 大蔵省入省(証券局企業財務第一課)[4]。1975年7月 伊勢崎税務署長。1981年7月 主計局主計官補佐(科学技術、文化係主査)。1982年6月 主計局主計官補佐(労働第一、二係主査)。1987年7月 大臣官房文書課広報室長。1993年7月2日 銀行局銀行課長。1994年7月1日 銀行局総務課長。1995年6月20日 東海財務局長。1996年7月12日 大臣官房参事官兼銀行局金融先物取引所監理官。1997年7月15日 近畿財務局長。1998年7月17日 大臣官房参事官(大臣官房担当)兼大臣官房審議官(大臣官房担当)兼財政金融研究所次長。1999年9月17日 財政金融研究所次長。2000年7月1日 財務総合政策研究所次長。2001年7月10日 退官。その後は産業基盤整備基金専務理事。
略歴
[編集]- 1970年4月:大蔵省入省(証券局企業財務第一課)[4]。
- 1971年10月:大阪国税局調査部。
- 1972年8月:大臣官房調査企画課。
- 1973年7月:経済企画庁物価局物価政策課専門調査員[5]。
- 1975年7月:伊勢崎税務署長。
- 1976年7月:国税庁調査査察部調査課長補佐。
- 1977年7月:証券局資本市場課長補佐。
- 1979年7月:主計局法規課長補佐。
- 1981年7月:主計局主計官補佐(科学技術、文化係主査)。
- 1982年6月:主計局主計官補佐(労働第一、二係主査)。
- 1983年6月:銀行局中小金融課長補佐(総括・相互銀行)[6]。
- 1985年6月:大臣官房企画官 兼 大臣官房文書課。
- 1987年7月:大臣官房文書課広報室長。
- 1988年6月:総務庁行政管理局管理官。
- 1990年7月:銀行局調査課長。
- 1992年7月:銀行局中小金融課長。
- 1993年7月:銀行局銀行課長。
- 1994年7月:銀行局総務課長。
- 1995年6月:東海財務局長。
- 1996年7月:大臣官房参事官 兼 銀行局金融先物取引所監理官。
- 1997年7月:近畿財務局長。
- 1998年4月:大臣官房付。
- 1998年7月:大臣官房参事官(大臣官房担当) 兼 大臣官房審議官(大臣官房担当) 兼 財政金融研究所次長。
- 1999年9月:財政金融研究所次長。
- 2000年7月:財務総合政策研究所次長。
- 2001年7月:退官。
大蔵省同期
[編集]- 細川興一(日本政策金融公庫総裁、財務事務次官、主計局長、大臣官房長)
- 坂篤郎(日本郵政株式会社代表執行役社長、内閣官房副長官補、内閣府審議官、内閣府政策統括官(経済社会システム担当)、経済企画庁長官官房長、主計局次長(筆頭))
- 大武健一郎(国税庁長官、主税局長、国税庁次長、大臣官房審議官(主税局担当))
- 岩下正(国際協力銀行理事、財務総合政策研究所長、国際局次長、在米国大使館公使)
- 原口恒和(イオン銀行会長、金融庁総務企画局長、理財局長、大臣官房総括審議官)
出典
[編集]官職 | ||
---|---|---|
先代 原口恒和 |
近畿財務局長 1997年 - 1998年 |
次代 渡辺達郎 |
先代 増原義剛 |
東海財務局長 1995年 - 1996年 |
次代 福田進 |
先代 北村歳治 |
大蔵省銀行局総務課長 1994年 - 1995年 |
次代 窪野鎮治 |
先代 岩下正 |
大蔵省大臣官房文書課広報室長 1987年 - 1988年 |
次代 藤井秀人 |