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増田甚太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

増田 甚太郎[1](ますだ じんたろう、1876年明治9年)11月[2] - 没年不明)は、日本商人米穀[2]雑穀[3]穀物[1][4][5])、家主[6]

人物

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1896年第5師団に入営し、北清の役が起ると1900年従軍した[2]。後日日露戦役に際し、再び出征各地に転戦し、功労が大きく、勲七等に叙せられた[2]。帰郷後、父増田徳蔵が経営していた米穀商を継承し、熱心業務の拡張をはかり、県下、市内はもちろん遠く九州山口県、備前作州及び備中または京阪地方、関東地方と盛んに取引をなし、一方陸軍御用達を務め、米穀馬糧を納入し、令名が広く高かった[2]。『商工人名録 昭和8年』には「営業種目・雑穀、馬糧、区別・、創業・明治元年」とある[7]。資性謹直、勤勉実行の人であった[2]。住所は広島市白島九軒町[1][2][3][4]

脚注

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  1. ^ a b c 『日本紳士録 第40版』広島フ、ヘ、ホ、マの部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『広島県紳士名鑑』140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月3日閲覧。
  3. ^ a b 『日本紳士録 第28版』広島マ、ケ、フの部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月3日閲覧。
  4. ^ a b 『日本紳士録 第44版』広島マの部23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月3日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第35版』広島マの部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月3日閲覧。
  6. ^ 『日本紳士録 第24版』広島ま、け、ふの部25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月8日閲覧。
  7. ^ 『商工人名録 昭和8年』185頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月3日閲覧。

参考文献

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  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第24版』交詢社、1919年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第28版』交詢社、1924年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 広島商工会議所編『商工人名録 昭和8年』広島商工会議所、1933年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。