塩川哲也
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名前 | ||||||
カタカナ | シオカワ テツヤ | |||||
ラテン文字 | SHIOKAWA Tetsuya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1968年4月10日(56歳) | |||||
出身地 | 静岡県 | |||||
身長 | 170cm[1] | |||||
体重 | 64kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1984-1986 | 清水東高校 | |||||
1987-1990 | 順天堂大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1992 | 松下電器/ガンバ大阪 | 6 | (1) | |||
通算 | 6 | (1) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に長澤徹らがいる[2]。3年時には高校総体に出場したが、高校選手権は静岡県予選決勝で東海大学第一高校に敗れた[2][3]。
高校卒業後に順天堂大学へ進学し蹴球部に入部。同期に大嶽直人、1学年下に森山泰行らがいる[4]。4年時の1990年には主将を務めると中盤を牽引し、関東大学選手権、総理大臣杯、関東大学リーグの三冠獲得に貢献した[4]。
1991年に日本サッカーリーグ1部の松下電器産業サッカー部に加入。1990-91シーズンのJSL1部第11節で追加登録され、同年3月24日に行われた本田技研戦でデビュー[1]。同年12月1日に行われた1991-92シーズンのJSL1部第11節、三菱自動車戦で初得点を決めた[5]。JSL1部では通算6試合に出場し1得点を記録した[5]。
1992年、プロ化によりガンバ大阪へ移行後もチームに在籍したが[6]、翌1993年のJリーグ開幕前に退団した[7]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 松下 | 32 | JSL1部 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
1991-92 | 16 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5 | 2 | ||
1992 | G大阪 | - | J | - | 0 | 0 | 0註1 | 0 | 0 | 0 | |
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | JSL1部 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 7 | 2 | ||
総通算 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 7 | 2 |
- 註1 1回戦の三菱自工水島戦のメンバーについては不明。
脚注
[編集]- ^ a b c 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・Year book '91‐'92』日本サッカーリーグ、1991年、39・109・118頁頁。
- ^ a b 『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』ベースボール・マガジン社、2008年、77-79頁。ISBN 978-4-583-61581-3。
- ^ 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、176頁。ISBN 978-4-06-220356-2。
- ^ a b 「今季の大学サッカーを占う」『サッカーマガジン』 1991年7月号、ベースボール・マガジン社、110頁。
- ^ a b 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、64・78・254頁頁。
- ^ 「Jリーグ・カップ登録メンバーリスト」『サッカーマガジン』 1992年10月号、ベースボール・マガジン社、89頁。
- ^ 「JSL NOW」『ストライカー』 1993年1月7日号、学習研究社、134頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 塩川哲也 - Transfermarkt.comによる選手データ