塚原雄太
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塚原 雄太(つかはら ゆうた、1920年(大正9年)6月12日 - 2011年(平成23年)12月30日)は、日本の教育者、教育研究家。
略歴
[編集]1920年(大正9年)6月12日、栃木県に生まれる。1944年(昭和19年)に法政大学経済学部を繰り上げ卒業する。学徒出陣で陸軍東部第17部隊に入隊し、1945年(昭和20年)に敗戦により復員する。復員後、土木労務者、米軍PXのバーテンダー、露天商組合事務員などを経て、1947年(昭和22年)に東京荒川区の荒川区立第七中学校の教員となる。1954年(昭和29年)に荒川区立第九中学校にうつり、1957年(昭和32年)から1981年(昭和56年)まで同校第二部(夜間学級)で教鞭をとった。
2011年(平成23年)12月30日に死去、91歳没。
その他
[編集]夜間中学の必要性を痛感し、夜間中学校の開設に尽力する。また、TBSラジオ「全国こども電話相談室」の回答者としても知られている。
夜間中学生(卒業生等)のスピーチ大会に『花咲け出愛 スピーチ大会』と名付けられているが、この『花咲け出愛』は塚原の詩の一節から用いられたものである。
著書
[編集]- 『夜間中学生』(知性社、1958)
- 『夜間中学-疎外された「義務教育」』(社会新報、1969)
- 『私は口をきかない-六人の夜間中学生の話』(田畑書店、1976)
- 『出あいふれあい親子学-塚原雄太からの提言』(高橋書店、1980)
関連項目
[編集]- 見城慶和 - 夜間中学教師。塚原の『夜間中学生』に感銘を受け、夜間中学教員になった。
参考
[編集]- 『朝日人物事典』(朝日新聞社、1990)
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