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堤雄長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堤 雄長
つつみ たけなが
生年月日 (1870-12-29) 1870年12月29日
出生地 日本の旗 日本 山城国京都府京都市
没年月日 (1955-04-11) 1955年4月11日(84歳没)
出身校 東京美術学校日本画科
配偶者 堤浜
子女 長男:堤経長
次男:堤秀雄
三男:土屋尹直
次女:堤治子

在任期間 1916年 - 1925年
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堤 雄長(つつみ たけなが、1870年12月29日明治3年11月8日[1]〉- 1955年昭和30年〉4月11日[1][2])は、明治から昭和期の宮内官。政治家華族貴族院子爵議員。旧名・雄麿[1]

生涯

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山城国京都で華族・堤功長の次男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1913年(大正2年)12月10日に子爵を襲爵した[1][3][4]

1894年(明治27年)東京美術学校日本画科を卒業[2][3]工手学校京華中学校などで教師を務めた[3]1912年、祭官となる[2]。以後、大喪使祭官、名誉掌典、青山御所祗候などを務めた[2][3]

1916年(大正5年)6月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し[2]1925年(大正14年)7月9日まで2期在任した[2]

1940年(昭和15年)7月5日に隠居し[7]、家督は長男・経長が継承した[1]

系譜

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出典: [8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻, pp. 111–112.
  2. ^ a b c d e f 『貴族院・参議院議員名鑑』, p. 48.
  3. ^ a b c d e 『人事興信録』下巻、第12版, p. ツ46.
  4. ^ 『官報』第412号、大正2年12月11日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』, p. 24.
  6. ^ 『官報』第1164号、大正5年6月19日。
  7. ^ 『官報』第4052号、昭和15年7月10日。
  8. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻, pp. 111–112

参考文献

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  • 『人事興信録:下巻』第12版、人事興信所編、人事興信所、1940年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 
  • 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』衆議院参議院編、大蔵省印刷局、1990年。 
  • 平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
日本の爵位
先代
堤功長
子爵
堤家第2代
1913年 - 1940年
次代
堤経長