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堤甲子三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堤 甲子三(つつみ かしぞう、1894年明治27年)1月[1] - 1982年昭和57年)3月1日[2])は、日本実業家。堤商店、堤商事各代表[1]。昭和商会、三栄各取締役[1]。朝鮮開拓製糖、小笠原食品各監査役[1]

人物

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静岡県・板倉田平の弟[3]東京府・堤徳蔵の養子となり、分家する[1][3]会社重役である[1]。東京在籍で、住所は東京麻布霞町[1][3]

家族・親族

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堤家
  • 養父・徳蔵1876年 - ?、東京士族、砂糖問屋)[3]
  • 妻・豊子[1]、あるいは[3]1902年 - ?、養父・徳蔵の長女)[3]
  • 長女(東京、黒川光朝の妻)[1]
  • 女(平五の妻)
  • 婿養子・平五(小川平吉の五男)
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 下』ツ40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月22日閲覧。
  2. ^ 「堤 甲子三氏(つつみ・かしぞう=城北化学工業元会長)」『朝日新聞』1982年3月2日、21面。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』ツ41 - 42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月22日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。