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堀田哲爾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀田 哲爾(ほった てつじ、1935年8月2日 - 2012年7月23日)は、日本のサッカー指導者。 「清水サッカーの生みの親」といわれ、静岡県のサッカー普及に大きな足跡を残した[1]

経歴

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1935年(昭和10年)に生まれる。生家は静岡市(現・静岡市葵区)の華陽院 (寺院)[2]。7人兄弟の5番目(四男)[2]

小学生時代は野球をやり、当初は外野手、後に捕手を担当した[3]、中学生よりサッカーを始める[4][5]静岡大学教育学部短期大学部を卒業[6]。 1956年に清水市立江尻小学校(現・静岡市立清水江尻小学校)に教師として赴任。同校に日本で初めてとなる小学生サッカーチームを創部[7][8]。 1964年に同チームを「江尻サッカースポーツ少年団」に組織変更[9]。1966年、清水市小学生対抗サッカー大会を初めて開催する。

1967年、清水市少年サッカーリーグを主宰。これは全国初の小学生によるサッカーのリーグ戦であった[10]。1968年、静岡県サッカー少年団育成協議会の副会長に就く。1969年、各チームの選手を選抜し、「全清水サッカー少年団」を結成[11]。1977年に「清水FC」に改称。

1970年、清水市蹴球協会理事長に就任[12]。同年、日本蹴球協会公認指導者養成第1回コーチングスクールを受講し[13]、静岡県コーチングスクールを開く[14]。 1972年、ペプシコーラ社から支援を受け、新聞「静岡ユースサッカー」の発行、中学生サッカー県大会の創設、清水ユース・コーチングスクールの開設に尽力[15]。同年、清水市で「全国選抜少年サッカーフェスティバル」を開催。1973年、清水招待サッカー開始[16]

1976年、日本サッカー協会(JFA)技術委員会普及部委員となる[17]。 1977年、静岡県サッカー協会理事長に就任[18][19]。 1978年、清水市教育委員会に着任[20]。体育保険課長、事務局次長、スポーツ都市推進担当専門官の要職に就く。 1988年、朝日体育賞受賞[21]。 1991年、清水エスパルスの当時の運営会社「エスラップコミュニケーションズ」の球団常務となる[1][22]。 1992年、静岡県サッカー協会の財団法人化により専務理事を兼任[1]

1992年7月10日、静岡県サッカー協会から約1,300万円余りを横領したとして業務上横領の疑いで逮捕される[23]。 4日後に同協会の理事長職および日本サッカー協会の専務理事を辞任[24]。 1993年、東京高等裁判所(二審)により懲役1年4か月、執行猶予3年の判決を受けた[25]

2002年頃より言動に異変が現れ始め、2006年にレビー小体型認知症と診断される。 2012年、びまん性レビー小体病のため76歳で死去[26]

現役時代

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ポジションディフェンダーだが、ストライカーでもあった[27]。静岡大学2年時に同大学を東海地区国立大学体育大会(サッカー部門)優勝に導く[28]。教員となってからは「静岡県教員蹴球団(現・静岡県教員サッカー団芙蓉クラブ)」と「清水クラブ」の2チームに所属[29]国体に教員の部の選手として9回出場し[1](その後教員男子の監督や県の総監督として15回出場)[30][31]1961年の秋田国体1971年の和歌山国体では優勝を果たす。なお同時期に清水市教職員のソフトボールチームにも参加し、1960年に同チームが全日本教員ソフトボール大会で優勝した時のレギュラー選手として活躍した[32]

著書

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  • 『サッカー入門』〈入門シリーズ〉(11) 西東社 1984年1月 ISBN 4791605713
  • 『目で見るサッカー教室:イラストと写真でわかる基本プレー・チームプレー』〈ナガオカ入門シリーズ〉(33) 永岡書店 1984年5月・1993年3月 ISBN 4522070330
  • 『この道20年キックオフ人生 心のサッカー108話』 静岡:クリエイティブ宗 1986年

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d 日外 2012, p. 1477.
  2. ^ a b 梅田 2014, p. 20.
  3. ^ 高部 2016, p. 18.
  4. ^ 高部 2016, p. 19.
  5. ^ 梅田 2014, p. 27.では、中学時代は野球部で、サッカー部に入部したのは高校2年からと記述されている。
  6. ^ 高部 2016, p. 22.
  7. ^ 囲む会 2005, p. 26.
  8. ^ 高部 2016, p. 25.
  9. ^ 高部 2016, p. 31.
  10. ^ 高部 2016, p. 29.
  11. ^ 梅田 2014, p. 107.
  12. ^ 梅田 2014, p. 91.
  13. ^ 梅田 2014, p. 83.
  14. ^ 梅田 2014, p. 110.
  15. ^ 梅田 2014, pp. 98–99.
  16. ^ 囲む会 2005, p. 29.
  17. ^ 梅田 2014, p. 159.
  18. ^ 囲む会 2005, p. 34.
  19. ^ 梅田 2014, p. 171.
  20. ^ 高部 2016, p. 37.
  21. ^ 朝日スポーツ賞”. 朝日新聞社インフォメーション. 2018年4月28日閲覧。
  22. ^ 高部 2016, p. 65.
  23. ^ 梅田 2014, p. 457.
  24. ^ 梅田 2014, p. 461.
  25. ^ 梅田 2014, p. 458.
  26. ^ 梅田 2014, p. 616.
  27. ^ 高部 2016, p. 21.
  28. ^ 高部 2016, p. 24.
  29. ^ 梅田 2014, p. 19.
  30. ^ 静岡県サッカー協会編『静岡サッカー70年のあゆみ』1990年 pp.73-76(第33回-第43回)
  31. ^ 静岡県体育協会編『創立70周年記念 静岡県体育史(1988-1997)』1998年 pp.200-228(第44回-第47回)
  32. ^ 梅田 2014, pp. 35–36.

参考文献

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  • 日外アソシエーツ編「堀田哲爾」『静岡県人物・人材情報リスト』 2013 第2、日外アソシエーツ、2012年12月。 
  • 堀田哲爾を囲む会編『Mr.フットボール 堀田哲爾回顧録:ワールドカップサッカーへの旅』アイオーエム、2005年9月。ISBN 978-4-9004-4238-2 
  • 梅田明宏『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』現代書館、2014年6月。ISBN 978-4-7684-5716-0 
  • 高部務『無敵の少年サッカー発祥の地 清水サッカー物語』静岡新聞社、2016年8月。ISBN 978-4-7838-2251-6