堀江季雄
表示
堀江 季雄(ほりえ すえお、1884年(明治17年)2月16日[1] - 1946年(昭和21年)2月23日[2])は、枢密院書記官長、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]東京府に市野良樹の二男として生まれ、堀江敬慎の養子となった[1]。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[1]。滋賀県属となり、1913年(大正2年)に高等文官試験に合格した[1]。滋賀県警視、同野洲郡長を経て、同理事官、岐阜県理事官を歴任[1]。1920年(大正9年)、枢密院書記官に転じ、行政裁判所評定官、枢密院議長秘書官などを務めた[1]。1939年(昭和14年)枢密院書記官長に就任した[3]。
退官後の1945年(昭和20年)8月3日に貴族院議員に勅選され[4][5]、死去するまで在任した[6]。
栄典
[編集]- 位階
- 1913年(大正2年)9月20日 - 従七位[7]
- 1915年(大正4年)10月20日 - 正七位[7]
- 1917年(大正6年)11月20日 - 従六位[7]
- 1920年(大正9年)9月20日 - 正六位[7]
- 1922年(大正11年)9月11日 - 従五位[7]
- 1927年(昭和2年)5月2日 - 正五位[7]
- 1932年(昭和7年)5月16日 - 従四位[7]
- 1937年(昭和12年)6月1日 - 正四位[7]
- 1942年(昭和17年)6月15日 - 従三位[7]
- 1945年(昭和20年)10月27日 - 正三位[8]
- 勲章等
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正)[7]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲五等瑞宝章・大正三年乃至九年戦役従軍記章[7]
- 1921年(大正10年)3月23日 - 銀杯一個[7]
- 1926年(大正15年)11月29日 - 勲四等瑞宝章[7]
- 1928年(昭和3年)11月10日 - 大礼記念章(昭和)[7]
- 1931年(昭和6年)
- 1934年(昭和9年)4月29日 - 旭日中綬章[7]
- 1939年(昭和14年)2月14日 - 勲二等瑞宝章[7]
- 1940年(昭和15年)
- 外国勲章佩用允許
- 1927年(昭和2年)12月25日 - フィンランド共和国:甲級コマンド―ル・ローズ・ブランシゥ勲章[7]
- 1934年(昭和9年)3月1日 - 満州帝国:大満洲国建国功労章[7]
- 1938年(昭和13年)7月9日 - 満州帝国:勲三位景雲章[7]
- 1941年(昭和16年)12月9日 - 満州帝国:建国神廟創建記念章[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1960年。
公職 | ||
---|---|---|
先代 村上恭一 |
枢密院書記官長 1939年 - 1945年 |
次代 石黒武重 |