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堀江史朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀江 史朗(ほりえ しろう、1913年6月24日[1] - 2009年5月14日[1])は、脚本家、ラジオドラマの製作者、映画プロデューサー。元・博報堂代表取締役副社長。ペンネームは龍野 敏

経歴

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兵庫県西宮市生まれ。1934年大阪商科大学(現、大阪市立大学)を卒業と同時にNHKに入局。1937年よりラジオドラマの放送にたずさわる。戦後のラジオ全盛期には、制作、脚本両面で放送界の中心的役割を果たした。1950年に脚本部長。

東宝撮影所に移籍して文芸部長。1955年に契約者となり、1962年博報堂に移籍、テレビ・ラジオ局長、1974年代表取締役副社長となる。のち、シナリオ・センター最高顧問。

2009年5月14日、肺炎のため95歳で死去[2]

代表作

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映画

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ラジオ

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著書

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  • 『ラヂオドラマ書き方と演出』 堀江史朗、中川忠彦 共著 協立書店 1951年
  • 『ラジオ・ドラマの作り方』 宝文館 1951年
  • 『帰るべき場所』 宝文館(ラジオ・ドラマ新書) 1955年
  • 『波の言葉』(くろしお出版 1959年)
  • 『ぼくの女優交遊録:素顔が見えた日』(主婦の友社 2002年)
  • 『日本映画黄金期の影武者たち : 新井一、堀江史朗、森栄晃の軌跡』(シナリオ・センター 編 彩流社 2010年)

脚注

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  1. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「6月24日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、167頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  2. ^ 元博報堂副社長、堀江史朗さん死去 - asahi.com、2009年5月15日。

参考文献

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外部リンク

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