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堀江久勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀江 久勝[1](ほりえ ひさかつ、1877年明治10年)1月[2] - 没年不明)は、広島高等学校教授[1][2][3]。族籍は長野県士族[2][3][4]

人物

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長野県士族・堀江久次の二男[3][4]松本市生まれ[3]1927年家督を相続[4]1904年東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[3][4][5]。茨城県立太田中学校教諭、秋田鉱山専門学校教授同生徒監、山形高等学校教授等を歴任[4]

1922年、倫理及び教育研究のため独英に留学し、1924年、広島高等学校教授に任ぜられ1932年、退官する[4]。趣味は文学、絵画、園芸[4]。宗教は仏教[4]。住所は広島市白島九軒町[1][3]、東京市世田谷区玉川等々力町[4]

家族・親族

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堀江家

脚注

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  1. ^ a b c 『日本紳士録 第35版』広島フ、ヘ、ホ、マの部21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第8版』ホ34 - 35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第9版』ホ30 - 31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第12版 下』ホ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』学士及卒業生姓名 文学士 哲学科233頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。

参考文献

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  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。