堀江ひとみ
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ほりえ ひとみ 堀江 ひとみ | |
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生誕 |
1935年 日本兵庫県 |
死没 | 2012年4月15日(77歳没) |
職業 | 社会運動家 |
堀江 ひとみ(ほりえ ひとみ、1935年(昭和10年) - 2012年(平成24年)4月15日)は、日本の社会運動家。反暴力団活動家。暴力団被害者の会会長[1]。兵庫県出身。
生涯
[編集]兵庫県出身。元々は主婦だったが、1985年(昭和60年)に尼崎市で暴力団抗争の流れ弾で当時19歳だった一人娘を奪われて以来、暴力団追放運動に人生を捧げた。
実行犯が逮捕された後、弁護士の垣添誠雄と共に暴力団組長に損害賠償請求訴訟を初めて起こし、4,000万円の和解金を勝ち取る。4,000万円の和解金の一部で設立した「まや基金」は、後に「暴力団被害者の会」「暴力団被害救済基金」へとつながった。
娘の位牌を抱き、和服姿で暴力団追放運動のために全国を駆け回り、暴力団の発砲事件で犠牲になった家族たちの支援にも飛んでいった。 暴力団からの脅迫が繰り返され、電車を待つ駅のホームで突き落とされかけたことも一度や二度ではなかった[2]。 ヤクザを向こうに回しての人生は「マルタイ」(要保護対象)としての生き方を余儀なくされたが、兵庫県警の捜査員たち、裁判を支えた検事や弁護士、学生たちに支えられ「お母さん」と慕われ活動を継続した。
2012年(平成24年)4月15日、静岡県河津町の自宅で心不全で死去。享年77[3]。
メディア出演
[編集]脚注
[編集]- ^ “暴力団被害者の会が発足 一人娘失った堀江さん会長”. 47NEWS. 共同通信社. (2003年6月6日) 2014年4月30日閲覧。
- ^ “たった一人で暴力団と戦った主婦…忘れがたき「マルタイの女」”. iza. 産業経済新聞社. (2012年12月25日). オリジナルの2013年2月2日時点におけるアーカイブ。 2014年4月30日閲覧。
- ^ “暴力団に立ち向かったお母さんが逝った ヤクザが変質したこの年に”. MSN産経ニュース. 産業経済新聞社. (2012年12月27日) 2014年4月30日閲覧。
- ^ "暴力団被害者達は今~ひとり娘を亡くした母の闘い~". 映像'03. 28 September 2003. MBSテレビ。
- ^ "社会に広がる暴力団追放運動". 峰竜太のナッ得ニッポン. 19 November 2007. BS朝日。
参考文献
[編集]- 『凜として―日本人の生き方』産経新聞「凜として」取材班(著)産経新聞ニュースサービス(2005年)ISBN 4594049249
外部リンク
[編集]- 公益社団法人ストップ・ガン・キャラバン隊 - ウェイバックマシン(2005年2月4日アーカイブ分) - 正会員になっている。