堀川具俊
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 文永10年(1273年) |
死没 | 嘉元元年(1303年)9月 |
官位 | 従二位・権中納言 |
主君 | 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇 |
氏族 | 村上源氏庶流堀川家 |
父母 | 父:堀川具守 |
兄弟 | 具俊、静源、顕守、道守、信助、基子、琮子、西園寺公顕室 |
妻 | 二条為藤[1]娘[2] |
子 | 顕基、具親 |
堀川 具俊(ほりかわ ともとし)は、鎌倉時代後期の公卿。内大臣・堀川具守の子。官位は従二位・権中納言。早世したために息男である具親が具守の家嫡となった。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』、『検非違使補任別巻』の内容に従って記述する。
- 弘安7年(1284年)閏4月24日、叙爵。同年7月26日、侍従に任ぜられる。
- 弘安8年(1285年)12月29日、従五位上に昇叙。
- 弘安9年(1286年)7月11日、左少将に任ぜられる。
- 弘安11年(1288年)3月8日、正五位下に昇叙。
- 正応2年(1289年)1月5日、禁色を許される。同年2月24日、従四位下に昇叙。3月26日、従四位上に昇叙。6月2日、左中将に転任。
- 正応3年(1290年)10月27日、正四位下に昇叙。
- 正応5年(1292年)10月28日、従三位に叙せられる。左中将は元の如し。
- 永仁4年(1296年)1月5日、正三位に昇叙。
- 永仁6年(1298年)6月23日、参議に任ぜられる。7月13日、左衛門督を兼ね、検非違使別当に補せられる。
- 正安元年(1299年)3月24日、讃岐権守を兼ねる。4月26日、権中納言に昇進し、同日に左衛門督を兼ね検非違使別当に補せられる。6月6日、検非違使別当を止められる。7月8日、従二位に昇叙。
- 正安3年(1301年)1月22日、後伏見院別当に補される。同年4月5日、左衛門督を止める。9月10日、御禊次第司御前長官に補せられる。
- 嘉元元年(1303年)1月5日、左衛門督を兼ねる。5月18日、左衛門督を止める。9月薨去。享年31。