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城南町下宮地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 熊本県 > 熊本市 > 南区 > 城南町下宮地
城南町下宮地
大字
城南バイパスからみた城南町下宮地
日本の旗 日本
都道府県 熊本県の旗 熊本県
市町村 熊本市
行政区 南区
地区 城南地域
人口情報2024年12月1日現在[1]
 人口 2,249 人
 世帯数 1,058 世帯
設置日 2010年平成22年)
3月23日
郵便番号 861-4204[2]
市外局番 0964
ナンバープレート 熊本
運輸局住所コード[3] 43004-0307
ウィキポータル 日本の町・字
熊本県の旗 ウィキポータル 熊本県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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城南町下宮地(じょうなんまちしもみやじ)は熊本県熊本市南区大字。旧肥後国下益城郡下宮地村下益城郡隈庄町大字下宮地下益城郡城南町大字下宮地熊本市大字城南町下宮地。人口は2,249人、世帯数は1,058世帯(2024年12月1日現在)[1]郵便番号は861-4204[2]

地理

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熊本平野南部・舞原台地、宮地台地南下の浜戸川右岸に位置する。南で浜戸川を挟み城南町阿高、東で城南町舞原城南町沈目、北で城南町隈庄、西で城南町六田、浜戸川を挟み富合町木原と接している。また、当地には国道266号が通っており、国道を中心に市街地が形成されている。北東部には沢水溜池がある。

河川

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歴史

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かつては廻江手永に属していた。当地には菊池武房1265年(文永2年)に建立した能仁寺があったが中世後期の戦乱により衰退したとされ、以後曹洞宗大慈寺の末寺となり、この地を浄土寺村と呼んだ。しかし、近世初期に小西氏の領地となった後能仁寺は再び衰退した。その後に跡地に草堂を立て、大慈寺から堂守を入れてわずかに命脈を保ったという。

沿革

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名前の由来

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上宮地村(現在の城南町宮地の一部)にある宮地神社の御幸時に下宮の地になる事にちなむ[4]。また、この下宮の跡を古町と呼び、神田という小字が残る。

世帯数と人口

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2024年(令和6年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
城南町下宮地 1,032世帯 2,196人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

番地 小学校 中学校
全域 熊本市立隈庄小学校 熊本市立下益城城南中学校

交通

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バス

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道路

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施設

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脚注

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  1. ^ a b c 人口統計表”. 熊本市. 2023年12月27日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵政. 2024年12月27日閲覧。
  3. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年12月27日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典 43 熊本県. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会. (1987-12-08). pp. 581 
  5. ^ 熊本市立小中学校通学区域索引簿(住所から校区を検索)”. 熊本市. 2024年5月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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