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坂本義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂本 義一
Yoshikazu SAKAMOTO
基本情報
名前 坂本 義一
生年月日 (1961-11-21) 1961年11月21日(63歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県
経歴
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坂本 義一(さかもと よしかず、1961年11月21日 - )は広島県出身のプロゴルファー

来歴

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呉工業高校時代の1977年には全国高校ゴルフ選手権個人・男子で7位に入り[1]専修大学卒業[2]後にプロ入りし、1993年中四国オープン1994年の後楽園カップ(第3回)[3]で優勝。

1985年から松永カントリークラブでプロ・アマ・研修生により行われている「ミッドサマーオープン」[4]では同年の第1回に上野忠美デビッド・イシイアメリカ)に次ぐ5位タイ、1986年の第2回では上野と並んでの4位タイに入った[5]

1995年ダイドードリンコ静岡オープンではサスペンデッドゲームとなった2日目、5アンダーで回って通算2アンダー[6]とした。

1996年のダイドードリンコ静岡オープンでは芹澤信雄カルロス・フランコパラグアイ)とのプレーオフとなり、1ホール目に芹澤が2打目OBで5オン5パットのトリプルボギー、フランコが3オン2パットのボギーであったのに対し、坂本は3オン1パットのパーで優勝[7]。プロ14年目のツアー初シード初優勝を果たし、大会後は自身が住む阿知須町役場へ優勝報告のため訪問した[8]

その後は久光製薬KBCオーガスタ細川和彦と並んでの5位タイ[9]カシオワールドオープンでは佐々木久行と並んでの6位タイ[10]に入った。

1997年の札幌とうきゅうオープンでは宮瀬博文飯合肇に次ぐ3位[11]1999年千葉オープンでは鈴木亨江本光今野康晴と並んでの7位タイ[12]に入ったが、2004年日本オープン[13]を最後にレギュラーツアーから引退。

主な優勝

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  • 1993年 - 中四国オープン
  • 1995年 - ダイドードリンコ静岡オープン

脚注

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  1. ^ Untitled”. nihon-kougoren.jp. 2024年1月25日閲覧。
  2. ^ 坂本 義一選手のプロフィール”. www.jga.or.jp. 2024年1月25日閲覧。
  3. ^ ABEMAツアー スケジュール 1994 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年6月29日閲覧。
  4. ^ ミッドサマーの歴史 - 福山市”. www.matsunagacc.jp. 2024年7月13日閲覧。
  5. ^ (広島西CC)145”. 2022年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧。
  6. ^ 1995年03月17日 2アンダーの坂本義一 静岡オープンゴルフ第2日”. kyodonews.jp. 2024年1月25日閲覧。
  7. ^ ダイドードリンコ静岡オープンゴルフトーナメント 1996 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月25日閲覧。
  8. ^ Untitled”. www.city.yamaguchi.lg.jp. 2024年1月25日閲覧。
  9. ^ フルリーダーボード 久光製薬KBCオーガスタゴルフトーナメント 1996 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月25日閲覧。
  10. ^ フルリーダーボード カシオワールドオープンゴルフトーナメント 1996 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月25日閲覧。
  11. ^ 札幌とうきゅうオープン 1997 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月25日閲覧。
  12. ^ '99千葉オープンゴルフトーナメント”. 2022年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月27日閲覧。
  13. ^ 坂本 義一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月25日閲覧。

外部リンク

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