坂本清俊
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坂本 清俊(さかもと きよとし[1]、1864年8月2日(元治元年7月1日) - 1949年(昭和24年)12月29日[2])は、日本の篤農家[3]、政治家(奈良県南葛城郡会議員)、社会運動家。部落解放運動家阪本清一郎の従兄弟[4]。
経歴
[編集]奈良県南葛城郡掖上村柏原(現・御所市)の被差別部落出身。掖上村柏原北方区長を務める[2]。
自由党に入って自由民権運動をおし進める[1]。融和事業に取り組み、1912年、松井庄五郎の大和同志会結成に参加し、副会長となる[2]。
柏原や奈良県内の自主的部落改善運動の中心を担った。
人物
[編集]寺田蘇人著『部落の人豪』には、奈良県南葛城郡の部落の人豪として清俊の名前が挙げられている[5]。
阪本清一郎は坂本清俊の影響を大きく受けている[4]。清俊は阪本清一郎の父の兄の長男、つまりいとこに当たる[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
- 福田雅子『証言・全国水平社』日本放送出版協会、1985年。