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坂本保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂本 保
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県
生年月日 (1974-08-27) 1974年8月27日(50歳)
身長
体重
177 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • Honda

坂本 保(さかもと たもつ、1974年8月27日 - )は、元社会人野球選手(投手)。最終所属チームはHondaだった。

人物・来歴

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大分県出身。佐伯鶴城高から1992年本田技研工業に入社、ホンダ熊本(当時・本田技研熊本)に所属。
入社直後は制球力が悪く、チーム内でもボールを受けてくれる捕手がおらず、ネットに投げ込んだこともあった。入社4年目の1995年サイドスローに転向してから制球力がよくなり、チームの屋台骨を支える柱となった。

2002年にホンダ熊本は第72回都市対抗野球大会で準優勝、翌2003年第73回大会にも4強入りしたが、このときにも先発・抑えとフル回転してチームに貢献。また、2004年アテネオリンピック野球日本代表の壮行試合で社会人野球から4選手を選抜した際にも選出されるなど、坂本の野球人生は順風満帆に見えた。

しかし同年、チームは2大大会(都市対抗野球・日本選手権)の出場を逃し、オフに首脳陣から翌シーズンの構想外にあることを通告され、同時にホンダ埼玉県狭山市)への移籍を打診された。家族があり、しかも熊本に家を建てていた坂本は迷ったが、新天地での活躍を目指すために単身赴任での移籍を決意。狭山から2選手が熊本へ、坂本が狭山へ、という同一企業内とはいえ社会人野球では異例の「トレード」が行われた。

社会人13年目の2005年、ホンダに移籍した坂本はさっそくチームの柱として期待され、先発・中継ぎ・抑えとさまざまな役割をこなし、チームも久々に2大大会にダブル出場を果たした。もともと力投派ではなく、ひょうひょうと相手をかわしながら投げるタイプでありながら、坂本は2大大会で通算6試合に登板し、23イニングで自責点0、防御率0.00という驚異的な数字を残し、いずれの大会でも大会優秀選手に選出されるばかりでなく、同年の社会人ベストナインの投手部門に初めて選出された。

2007年からは兼任コーチとなって4シーズンにわたって投手陣を指導、2008年にはエース筑川利希也JFE東日本から補強した須田幸太らをまとめ上げ、同年行われた第80回都市対抗野球大会制覇にコーチとして貢献した。

2010年限りで現役を引退、現在は狭山工場で社業に就いている[1]

日本代表キャリア

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  • 第35回IBAFワールドカップ(2003年)
  • アテネオリンピック野球壮行試合日本代表(2004年)
  • 第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表(2004年)
  • 第36回IBAFワールドカップ(2005年)

主な表彰・タイトル

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脚注

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