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坂口敏之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂口 敏之(さかぐち としゆき、1909年[1] - 1999年[2])は、日本医師軍医

来歴

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熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)を経て、熊本医科大学を卒業した。

1937年7月には上海に派遣され患者輸送部隊の医師として、負傷した兵士を野戦病院から後方へ送る仕事に従事した[2]太平洋戦争開戦後は軍医として徴兵され、マレー作戦に従軍し、1942年秋まで占領地を移った[2]

戦後は福岡県大牟田市で開業医として過ごした[2]。1952年に熊本大学より医学博士号を取得している[3]。1975年には『肥後の子供歳時記』を刊行した[1]。1999年に満89歳で死去した[2]

没後の2020年に、日中戦争以来の従軍当時を綴った手記「従軍記」が大牟田市の遺族宅に保管されていることが報じられた[2]

脚注

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  1. ^ a b 肥後子供歳時記 - 国立国会図書館サーチ
  2. ^ a b c d e f “戦後75年 軍医が見た戦地の光景 熊本の医師の手記7冊、中国・東南アジアで記録”. 産経新聞. (2020年8月3日). https://www.sankei.com/article/20200803-MNHYKPM2HNPV7MG2HEWDUCDATA/ 2023年8月閲覧。 
  3. ^ 北九州日本人耳介の人類学的研究、特にその年令的考察 - 国立国会図書館サーチ