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坂口常次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂口 常次郎(さかぐち つねじろう、1863年5月31日文久3年4月14日[1] - 没年不明)は、日本政治家実業家。醤油醸造業坂口商店代表社員[注 1]。族籍は鳥取県平民[3]

人物

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鳥取県西伯郡米子町大字尾高町(現・米子市尾高町)出身。木綿商・坂口平吉郎の三男[3]。坂口喜平の養子となる[3]

尾高区区長、米子町収入役米子町会議員、西伯郡会議員[1]、米子製糸取締役[3]米子製鋼所監査役[3]、西伯酒造組合長[4]、西伯醤油製造同業組合長[5]などをつとめる。

家族・親族

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坂口家
  • 養父・喜平[3] - 米子製糸合名会社社員だったが、1909年に退社した[6]
  • 妻・クス1874年 - ?、大阪、中野吉平の長女)[3]
  • 長男・坦一[3]1888年 - ?、ヤマサ商会代表社員[注 2]
    • 同妻・みつ1891年 - ?、鳥取、木村吉兵衛の妹)[3]
  • 二男・碩二[3](1891年 - ? 、日本製糸監査役[8]
    • 同妻・美津子1897年 - ?、鳥取、能登路明の長女)[3]
  • 長女・ふみ子1884年 - ?、鳥取、坂口平兵衛の養子[3]、坂口武市の妻)
  • 二女・あや子1886年 - ?、鳥取、木村吉兵衛の二男倉次郎の妻)
  • [3]
親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 『山陰実業興信録 大正11年』によると、「坂口商店は、坂口常次郎に至り、業務拡張と原料の精選と醸造法の改良に鋭意努め、遂に『山サ』印醤油の優良品な事及び山陰第一の製造高を産する今日の盛況に達せり」という[2]
  2. ^ 『日本工業要鑑 昭和4年度(第19版)』によると、合資会社ヤマサ商会の所在地は米子市岩倉町、目的は金物、諸機械器具製造販売、創業は大正11年2月、資本金は1万円、代表社員は坂口坦一である[7]

出典

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  1. ^ a b 『米子自治史』52、926、944頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月21日閲覧。
  2. ^ 『山陰実業興信録 大正11年』206頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第6版』さ68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月21日閲覧。
  4. ^ 『西伯郡自治史 郡制廃止記念』506頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月7日閲覧。
  5. ^ 『重要物産同業組合一覧 大正7年度』82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月10日閲覧。
  6. ^ 『官報 1909年06月22日』官報 第7796号付録 3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月7日閲覧。
  7. ^ 『日本工業要鑑 昭和4年度(第19版)』工場要録 機械工業230頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月21日閲覧。
  8. ^ 『帝国銀行会社要録 昭和12年(25版)』鳥取県2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月21日閲覧。

参考文献

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  • 大蔵省印刷局編『官報 1909年06月22日』日本マイクロ写真、1909年。
  • 農商務省編『重要物産同業組合一覧 大正7年度』農商務省、1913 - 1922年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 実業興信所編『山陰実業興信録 大正11年』実業興信所山陰本所、1922年。
  • 工業之日本社編『日本工業要鑑 昭和4年度(第19版)』工業之日本社、1928年。
  • 西伯郡町村長会編『西伯郡自治史 郡制廃止記念』西伯郡町村長会、1930年。
  • 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和12年(25版)』帝国興信所、1937年。
  • 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。

関連項目

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