坂下辰夫
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坂下 辰夫(さかした たつお)は日本の高校教師。担当は地理歴史科。埼玉県ラグビーフットボール協会理事長。埼玉県のラグビー普及に貢献している。
来歴
[編集]埼玉県立浦和高等学校から、東京教育大学(現・筑波大学)へ進学。監督として、埼玉県立浦和高等学校、埼玉県立桶川西高等学校、埼玉県立川越高等学校でラグビーを指導[1]。
ラグビーとの関わり
[編集]高校時代にラグビーを始め、大学時代も選手として活躍した。「来歴」にあるように各校で監督を務める。
埼玉県ラグビーフットボール協会の理事長としては、東日本大震災復興支援チャリティマッチ(神戸製鋼コベルコスティーラーズ対埼玉県トップリーグ選抜 2011年6月5日)開催実現の中心的な存在を担い、選手の招集に奔走した。その結果、サントリーサンゴリアス所属の元申騎をキャプテンとする埼玉県トップリーグ選抜が実現し、大畑大介らがチャリティイベントに参加した[2]。また、2019年ラグビーワールドカップ熊谷招致に尽力し、8万人越えの署名を集めることに成功した[3]。 この、ラグビーワールドカップ熊谷招致の実現のために、各方面で発言を行っている。主に「世界を代表する大会ですから競技人口の増加や、ラグビーファン・観客の増加、地域活性化の一助になるのではないかと期待しています。」[4]「『One for all. All for one.(一人は皆のため、皆は一人のため)』のラグビー精神を全県に広げる」[5]などの発言がある。
エピソード
[編集]- 高校時代、ゴダイゴのタケカワユキヒデと同級生であり、そそのかしてラグビー部に入部させたことがあった[6]。
- 浦和高校ラグビー部を54年ぶりの全国大会出場に導いた小林剛は、浦和高校時代の教え子である。全国大会出場を決めた2013年の春には「お前のラグビーの原点は何なんだ。おれはそんなラグビーを教えてないぞ」と小林監督にフォワード主体のラグビーからの転換を訴えたこともあった[7]。
脚注
[編集]- ^ 10代ラガーマン応援マガジンSQUEEZEスクイーズ「埼玉県ラグビー協会理事長インタビュー」2014年7月9日閲覧
- ^ SECOM RUGUTTs「震災復興チャリティーマッチにラガッツ4選手が埼玉TL選抜で出場」2014年7月10日閲覧
- ^ 『埼玉新聞』「熊谷でラグビーW杯を! 県招致委が署名提出 8万人の「熱意」協会に」2012年1月12日
- ^ 10代ラガーマン応援マガジンSQUEEZEスクイーズ「埼玉県ラグビー協会理事長インタビュー」2014年7月日閲覧
- ^ 夫彰子、橋本政明、2014年「ラグビー:W杯誘致、本格化 「東の熊谷」増改築へ 県招致委発足、知事「世界に認知されるように」」『毎日新聞』(埼玉版)6月11日朝刊
- ^ 楕円球の詩取材班、2013年「楕円球の詩:浦高ラグビー部物語/18 自由な校風、仲間が支え タケカワユキヒデさんに聞く」『毎日新聞』(埼玉版)12月24日朝刊
- ^ 楕円球の詩取材班、2013年「楕円球の詩:浦高ラグビー部物語/15 部員不足、存亡の機乗り越え あきらめない力、脈々と」『毎日新聞』(埼玉版)12月20日朝刊