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坂上鷹養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
坂上鷹養
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 弘仁8年閏4月16日817年6月4日
官位 従四位下武蔵守
主君 嵯峨天皇
氏族 坂上氏
父母 父:坂上苅田麻呂
兄弟 石津麻呂、広人、田村麻呂鷹養
真弓、鷹主、雄弓、又子、登子
氏勝
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坂上 鷹養(さかのうえ の たかかい)は、平安時代初期の貴族左京大夫坂上苅田麻呂の六男。官位従四位下武蔵守

経歴

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嵯峨朝初頭の大同4年(809年従五位下叙爵し、翌弘仁元年(810年薬子の変終結後に民部大輔に任ぜられる。まもなく陸奥介に任ぜられ、陸奥出羽按察使文室綿麻呂に従って蝦夷征討に参画する。弘仁2年(811年)4月に大伴今人佐伯耳麻呂と共に征夷副将軍に任ぜられると、10月に征討軍は一定の戦果を挙げ、12月には蝦夷征討の功労として大伴今人・佐伯耳麻呂と共に昇叙され、鷹養は従五位上となった。

その後、弘仁4年(813年正五位下・武蔵守、弘仁7年(816年)従四位下と引き続き地方官を務めながら順調に昇進している。弘仁8年(817年)閏4月16日卒去。最終官位は散位従四位下。

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 「坂上系図」『続群書類従』巻第185所収
  2. ^ 『日本三代実録』元慶5年11月9日条

参考文献

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