地鉄ビル前停留場
表示
(地鉄ビル前駅から転送)
地鉄ビル前停留場* | |
---|---|
富山駅方面のりば(2020年8月) | |
ちてつびるまえ Chitetsubiru-mae | |
◄C12 電気ビル前 (0.2 km) (0.3 km) 電鉄富山駅・エスタ前 C14► | |
所在地 | 富山県富山市桜橋通り |
駅番号 | C13 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | 富山軌道線(本線) |
キロ程 | 3.3 km(南富山駅前起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
363[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1934年(昭和9年)頃 |
地鉄ビル前停留場(ちてつビルまえていりゅうじょう)は、富山県富山市桜橋通りにある、富山地方鉄道富山軌道線本線の停留場。駅番号はC13。
富山県道22号富山停車場線上の併用軌道に設置されている。軌道は当停留場付近で大きくカーブしている。
歴史
[編集]1934年(昭和9年)頃のルート変更に伴って設置された当初は「桜町停留場」と名乗っていた(旧ルート上にも同名の停留場が存在した)[2]。当停留場が所在する交差点(中央郵便局前交差点)の北東角(現・富山地鉄ゴールデンボウル所在地)には軌道線の桜町車庫があり、車両基地として機能を有していた。この車庫は1951年(昭和26年)10月10日に千歳町へ機能が移転されて廃止された[3]。その後1964年(昭和39年)、東部線の線形改良に伴う付け替えにより交差点を西へ直進する線路が敷設され、分岐停留場となった[3]。しかし東部線は1972年(昭和47年)に廃止され、分岐停留場としての役目はわずか8年で終了することとなった[4]。2009年(平成21年)に富山都心線「セントラム」が開業し、当停留場も環状系統(3系統)の停留場に含まれることとなったが、環状系統は反時計回り一方通行の運用であるため、「セントラム」が停車するのは内回りの中央郵便局西側のホームのみとなっている。
年表
[編集]- 1934年(昭和9年)頃:桜橋 - 富山駅前 - 総曲輪間のルート変更に伴い、富山市営軌道の桜町停留場として開業[2]。
- 1943年(昭和18年)1月1日:路線譲渡により富山地方鉄道の停留場となる[5]。
- 1945年(昭和20年)8月2日:富山大空襲の戦災より休止[6]。
- 1946年(昭和21年)1月14日:南富山駅前 - 富山駅前間復旧に伴い営業再開[7]。
- 1951年(昭和26年)10月10日:桜町車庫廃止(千歳町車庫へ移転)[3]。
- 1954年(昭和29年)1月25日:郵便局前停留場に改称[3]。
- 1964年(昭和39年)11月8日:東部線(東田地方 - 郵便局前間)開業により分岐停留場となる[3]。
- 1966年(昭和41年)11月25日:本社事務所移転[3]に伴い地鉄ビル前停留場に改称[2]。
- 1972年(昭和47年)9月21日:東部線(中教院前 - 地鉄ビル前間)廃止[4]。
停留場構造
[編集]停留場周辺
[編集]- 富山地鉄ビル
- 富山中央郵便局
- 富山地鉄ゴールデンボウル
- アパホテル富山駅前
- ホテルグランテラス富山
- 富山県富山中央警察署
- 富山県教育記念館
- 高志会館
- 富山地方法務局
隣の停留場
[編集]- 富山地方鉄道
- 富山軌道線(本線)
- 電気ビル前停留場 (C12) - 地鉄ビル前停留場 (C13) - 電鉄富山駅・エスタ前停留場 (C14)
- 富山軌道線(東部線)(1972年廃止)
- 東田地方停留場 - 地鉄ビル前停留場
脚注
[編集]- ^ “富山県 駅乗降客数”. 2021年4月19日閲覧。
- ^ a b c 今尾恵介(監)『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越―全線・全駅・全廃線』新潮社、2008年、36頁。ISBN 978-4107900241。
- ^ a b c d e f 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、176頁。
- ^ a b 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、177頁。
- ^ 1942年12月7日軌道譲渡許可「軌道譲渡」『官報』1942年12月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、175頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道、1983年、378頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 地鉄ビル前 市内電車 時刻予定表 (PDF) - 富山地方鉄道