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在原友于

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
在原友于
時代 平安時代前期
生誕 承和10年(843年
死没 延喜10年4月20日910年5月31日
官位 正四位下参議
主君 清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 在原氏
父母 父:在原行平
兄弟 遠膽、友于、基平、文子
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在原 友于(ありわら の ともゆき)は、平安時代前期の公卿中納言在原行平の子。平城天皇の曾孫にあたる。官位正四位下参議

経歴

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左京少進春宮少進主殿権助を経て、元慶元年(877年陽成天皇即位に伴う叙位にて従五位下叙爵する。元慶3年(879年右兵衛権佐に任ぜられると、元慶7年(883年右近衛権少将と武官を務めた。元慶3年(879年清和上皇龍門寺参詣の際、源昇と共に供奉し、大伴・安曇仙人の旧廬を見て往時を偲び涙したという。

元慶8年(884年光孝天皇の即位に前後して従五位上に叙せられると、宇多朝前半まで近衛少将を務めながら、仁和4年(888年正五位下、寛平4年(892年従四位下と順調に昇進し、寛平7年(895年)には蔵人頭に任ぜられた。

寛平9年(897年醍醐天皇の即位に伴って蔵人頭を止められて左近衛中将兼修理大夫を務めるが、昌泰2年(899年)蔵人頭に再任され、翌昌泰3年(900年参議に任ぜられ公卿に列した。議政官を務める傍ら修理大夫・左兵衛督を兼ね、延喜6年(906年正四位下に至る。延喜7年(907年)には大宰権帥を兼帯している。

延喜10年(910年)4月20日卒去享年68。最終官位は参議正四位下大宰権帥。

官歴

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注記のないものは『日本三代実録』による。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『公卿補任』
  2. ^ 『日本紀略』

参考文献

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公職
先代
菅原道真
太宰権帥
907 - 910
次代
橘公頼
軍職
先代
源貞恒
左兵衛督
900 - 906
次代
平惟範