土方雄端
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保元年7月7日(1716年8月23日) |
死没 | 宝暦8年9月17日(1758年10月18日) |
改名 | 婿之進(幼名)、雄端 |
戒名 | 永源院殿仁英紹劫大居士 |
墓所 | 東京都文京区湯島の麟祥院 |
官位 | 従五位下、備中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国菰野藩主 |
氏族 | 土方氏 |
父母 |
父:土方豊義、母:魏光院 養父:土方雄房 |
兄弟 | 雄房、雄端 |
妻 | 正室:木下利潔の娘・美代姫 |
子 |
雄年、義法(次男)、木下俊直(三男)、 中山信勝(四男)、娘(内藤貞幹正室)、 娘(京極高備正室)、政子姫(土方雄貞正室) |
土方 雄端(ひじかた かつまさ)は、伊勢菰野藩の第6代藩主。
享保元年(1716年)7月7日、第4代藩主・土方豊義の次男として菰野で生まれる。寛延3年(1750年)1月25日、兄で第5代藩主の雄房が隠居し、その養子となって跡を継いだ。藩政においては宝暦2年(1752年)に新家中諸法度を制定し、兄同様に学問を奨励した。宝暦8年(1758年)9月17日、兄に先立って江戸で死去した。享年43。
跡を長男の雄年が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 美代姫 ー 木下利潔の娘
子女