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國映館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
國映館
KOKUEIKAN
情報
正式名称 國映館
旧名称 世界館
開館 1955年9月1日
閉館 2002年9月20日
最終公演 タイタニック
収容人員 (3スクリーン)934人
設備 ドルビーデジタル5.1ch
35mm映写機
用途 映画上映
運営 株式会社國場組映像事業本部
所在地 900-0014
沖縄県那覇市松尾2丁目5-5
最寄駅 [注 1]
最寄バス停 沖縄バス那覇バス琉球バス交通「松尾」停留所
特記事項 略歴
1950年:世界館(前身)開業
1955年:國映館開業
1982年:シネマオスカー開業。2スクリーン化
1985年:國映アカデミー開業。3スクリーン化
2002年:閉館
2020年:跡地にホテル コレクティブがオープン
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國映館(こくえいかん、国映館)は、かつて沖縄県那覇市松尾に存在した映画館

データ

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  • 所在地:沖縄県那覇市松尾2丁目5-5(現在のホテル コレクティブの位置[1]
    開業当時の同市松尾2番地[注 2]
  • 運営:國映興業株式会社→株式会社國場組映像事業本部[2]
  • 観客定員数(閉館時)
    • 國映館(1階):544席
    • 國映アカデミー(2階):270席
    • シネマオスカー(地下1階):120席

歴史

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世界館から國映館へ

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1950年(昭和25年)9月1日、仲山興吉により設立された芝居小屋世界館」(せかいかん)がその前身[3]。沖縄県内としては「沖縄劇場」[注 3]に続き戦後2番目・かつ県内初のコンクリート有蓋劇場として完成した[3]。オープン当日の演目は、「松劇団」「大伸座」「寿座」の三劇団による合同芝居『姿三四郎』。同月19日には大映作品『蛇姫道中』を上映。これが世界館初の映画興行となった[3]

その後1954年(昭和29年)に國場組が世界館の経営権を取得[3]。これを機に改築を行い、1955年(昭和30年)9月1日、関連会社の國映興業による映画館として「國映館」が完成・グランドオープンする[5]。東京の日比谷映画劇場をイメージしたドーム型の屋根と曲面の外観で、国際通りのランドマークとしても親しまれた[5][6]。1964年(昭和39年)6月26日には、第3代琉球列島高等弁務官を務めたポール・W・キャラウェイの退任を惜しむ送別会が國映館で行われている[7]

複数スクリーンの時代

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沖縄が日本に返還(1972年)された1970年代以降は、『ジョーズ』(日本公開1975年)[8]『スター・ウォーズ』[注 4](同1978年)、『E.T.』(同1982年)[10]等のメガヒット作を多数輩出。当時の専務は「本土復帰後のインフレで映画料金が約3倍になった」と『キネマ旬報』の記事で述懐している[11]。その『E.T.』ブームの真っ只中にあった1982年(昭和57年)12月25日、地下1階に120席の小劇場「シネマオスカー」を新設[5]。それから2年7か月後の1985年(昭和60年)7月13日には、國映館の2階席部分を改修し「國映アカデミー」を新設[12]。國映館は3スクリーンを有する映画館となった[5]

1990年(平成2年)1月16日、当時の沖縄三越内にあった沖縄東宝劇場が閉館すると、國映館及び國映アカデミーでもドラえもん映画作品ゴジラシリーズ等の東宝邦画系作品(主に日劇東宝→日劇2系)を上映するようになる。そして同年9月1日、グランドオリオン[5]等を手掛けていたオリオン興業が、当館の運営元であった國映興業と合併したことにより、運営会社が國場組映像事業本部となる[2]。発足当日の琉球新報の全面広告には、当時の國場組社長だった國場幸昇による挨拶文と、同月から年末にかけて公開される映画のイメージビジュアル(『トータル・リコール』『ロッキー5/最後のドラマ[注 5]』等)が掲載されていた[2]

1993年(平成5年)4月24日、神奈川県海老名市ワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現:イオンシネマ海老名)がオープンして以降、日本国内でシネマコンプレックスが増加。それから4年後の1997年(平成9年)7月12日、國場組は北谷町に県内初のシネコン「ミハマ7プレックス」をオープンさせる。以降も先述の東宝系シリーズ作品や『タイタニック』(1997年)『千と千尋の神隠し』(2001年)等のヒット作を上映してきたが、那覇市おもろまちの大型商業施設「サンエー那覇メインプレイス」内に9スクリーンのシネコン「シネマQ」が2002年(平成14年)10月1日にオープンすることに伴い、國場組は同年9月20日をもって國映館とグランドオリオンをすべて閉館した[5]。國映館の最終上映作品は『タイタニック』[6]で、世界館時代から52年間に及ぶ歴史は、その幕を下ろしたのである[5]

閉館後

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閉館から3年8か月を経た2006年(平成18年)5月11日、リサ・パートナーズが國場組と組んで跡地の再開発事業に着手すると発表。建築専門誌「新建築」とのタイアップにより[13]、「公募プロポーザルコンペティション・KOKUEIKAN PROJECT」と題した再開発計画案コンペを実施。同年12月3日の公開ヒアリング・審査を経て応募総数341名の中から設計者が決まり[14]、2010年(平成22年)暮れの完成を目指してテナント募集が行われたものの[14]、募集中に発生したリーマン・ショックや、「シネマQ」移行後も続いていた國場組の映画館事業を関連会社のザ・テラスホテルズに譲渡したこと等の事情も重なり、リサ社との計画は実現せずに終わった。

國映館跡地に建設されたホテル コレクティブ(2023年撮影)

國映館の建物は2006年に取り壊され[5]駐車場となっていたが[15][注 6]、2014年(平成26年)6月に台湾の大手セメント会社・嘉新水泥(チアシン・セメント)が國映館跡地とその隣接地を21億8,500万円で取得したことが報じられた[15][16]。2017年(平成29年)11月1日から建築工事が行われ[1]、2020年(令和2年)1月6日、嘉新水泥の関連子会社・嘉新琉球COLLECTIVEが運営する地上13階建ての大型シティホテル「ホテル コレクティブ」がオープンし、現在に至る[1][10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 沖縄都市モノレール線県庁前駅美栄橋駅牧志駅は、閉館時点では開通していない[1]
  2. ^ 那覇市の映画館「消えた映画館の記憶」を参照した。
  3. ^ 1950年1月11日開業。後に真和志沖映館[3]→栄町沖縄劇場→栄町琉映館に改称するも、1965年6月9日に閉館[4]
  4. ^ 後に『エピソード4/新たなる希望』とされた[9]
  5. ^ 広告掲載時はサブタイトルがまだ決まっておらず、「ロッキーPART5」と表記されていた[2]
  6. ^ その間2012年(平成24年)にはパチンコ店が跡地を取得したことが報じられたが、諸事情により頓挫している[16]

出典

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  1. ^ a b c d 「つくる」ホテル コレクティブ”. 熊谷組. 2022年5月27日閲覧。
  2. ^ a b c d 「【全面広告】平成2年9月1日(株)國場組映像事業本部発足!」『琉球新報』琉球新報社、1990年9月1日、19面。2022年5月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e 那覇市にあった映画館 PAGE:2(1950年〜1951年)”. NPO法人シネマラボ突貫小僧. キネマ探偵団 沖縄映画興行伝説. 2022年5月27日閲覧。 “世界館”
  4. ^ 那覇市にあった映画館 PAGE:5(1960年〜1972年)”. NPO法人シネマラボ突貫小僧. キネマ探偵団 沖縄映画興行伝説. 2022年5月27日閲覧。 “栄町琉映館”
  5. ^ a b c d e f g h 那覇市にあった映画館 PAGE:4(1954年〜1959年)”. NPO法人シネマラボ突貫小僧. キネマ探偵団 沖縄映画興行伝説. 2022年5月27日閲覧。 “國映館”
  6. ^ a b 「増ページ特集・映画の日『なつかしの映画館、レトロ散歩』」『週刊レキオ』第1079号、琉球新報社、2005年12月1日、20頁、2022年5月28日閲覧。「國映館」 
  7. ^ 行政主席の時代”. 沖縄県公文書館 (2017年5月23日). 2022年5月27日閲覧。 “キャラウェイ高等弁務官送別会 あいさつする大田政作主席 那覇・國映館”
  8. ^ 平良竜次「沖縄まぼろし映画館(151)國映館の『ジョーズ』看板」『琉球新報』琉球新報社、2021年12月10日、14面。2022年5月27日閲覧。
  9. ^ 當間早志 [@Toma_Hayashi] (2021年11月15日). "『スター・ウォーズ』公開中の【國映館】の写真。右側通行のようだから、撮影は1978年7月30日より前。". X(旧Twitter)より2022年5月27日閲覧
  10. ^ a b 宮島真一 [@MiyajimaVAC] (2022年2月3日). "【國映館跡地】ホテルコレクティブで、これからお仕事! なんか感慨深いよ。38年前に『E.T.』を観た場所。". X(旧Twitter)より2022年5月27日閲覧
  11. ^ 上野昴志「われらの映画館 沖縄篇『那覇国映』(國映館)」『キネマ旬報』1976年12月下旬号、キネマ旬報社、1976年12月15日、122頁、2023年11月21日閲覧 
  12. ^ 「【全面広告】'85夏、ジェームズ・ボンド最強の敵と対決!『007/美しき獲物たち』本日堂々オープン! 國映アカデミー」『琉球新報』琉球新報社、1985年7月13日、6面。2024年12月18日閲覧。
  13. ^ 株式会社國場組との共同プロジェクト第一弾「國映館」跡地(沖縄県那覇市)の再開発計画案コンペに関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)リサ・パートナーズ、2006年5月11日http://ke.kabupro.jp/tsp/20060511/350b1250_20060511.pdf2022年5月27日閲覧 
  14. ^ a b KOKUEIKAN PROJECT テナント募集のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)リサ・パートナーズ、2008年9月30日https://www.risa-p.com/RISA/wp-content/uploads/2008/09/kokueikan-project_080930_final.pdf2022年5月27日閲覧 
  15. ^ a b “國映館跡隣接地合わせて開発へ”. 琉球新報 (琉球新報社). (2014年6月28日). https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-227690.html 2022年5月27日閲覧。 
  16. ^ a b 座安あきの「國映館跡 台湾企業購入 ホテル建設へ」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2014年6月10日、1面。2022年5月27日閲覧。

外部リンク

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