和歌山南陵高等学校
和歌山南陵高等学校 | |
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北緯33度53分8.2秒 東経135度12分16秒 / 北緯33.885611度 東経135.20444度座標: 北緯33度53分8.2秒 東経135度12分16秒 / 北緯33.885611度 東経135.20444度 | |
過去の名称 |
和歌山国際海洋高等学校 国際開洋第二高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人南陵学園 |
校訓 |
成長を助けるものは自信と成果 日々...前進前進また前進[1] |
設立年月日 | 1990年 |
創立者 | 井脇ノブ子 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 通信制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
アスリート・芸術コース 進学I類コース 進学II類コース |
学校コード | D130310000071 |
高校コード | 30508B |
所在地 | 〒649-1443 |
和歌山県日高郡日高川町和佐2223番地の5[1] | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
和歌山南陵高等学校(わかやまなんりょうこうとうがっこう)は、学校法人南陵学園が運営する、和歌山県日高郡日高川町にある私立で共学の高等学校である。
概要
[編集]元衆議院議員の井脇ノブ子が理事長を務める南陵学園が、井脇が理事長を務める財団法人少年の船協会の卒業生の進学先として[2]、1990年(平成2年)に和歌山国際海洋高等学校の校名で設立した。なお、開校当初の校名に海洋が付いたが、所在地の川辺町(のち日高川町)は海に面していない。
モンゴルからの留学生も在籍していたが、多額の負債を残して井脇は2010年(平成22年)に校長と法人の理事長を辞職した[2]。南陵学園の民事再生法適用に絡み、2012年(平成24年)度の生徒募集を行わず4月より一時休校した[3]が、2016年(平成28年)4月より現在の校名に改めて再開校した。再開校に伴い、元オリックス・バファローズ2軍監督の岡本哲司が3年間野球部監督をつとめ[4]、一時は野球部だけで100人の生徒が在籍した[2]。
しかしその後も経営は安定せず、2022年(令和4年)5月に教職員が給料の未払いなどを理由にストライキを決行して[5]以降は、生徒の転校が相次いだ[6]。7月8日には、和歌山県から財産確保などを求める措置命令を受け[7]、12月27日には前回の命令への対応が不十分だとして、県から新たな生徒の募集や入学を停止することを命じる措置命令を受けた[8]。2024年4月に新たな理事長が就任したが、過去2年間の決算書が無く命令書が山積みで放置された状態[9]、全校生徒は野球部員が10名、バスケットボール部員が6名、吹奏楽部員が2名の計18名のみで、全員が3年生である[2][10][11]。教室は1室のみ使用しており、新理事長が滞納金の完済やクラウドファンディングに奔走した[9]が、それでも8月時点で毎月1,500万円の赤字が累積し[2]、寮は水漏れが頻発[6]、大浴場はタイルの一部が剥がれたままである[12]。
沿革
[編集]- 1990年(平成2年)- 1985年に静岡県に開校した国際海洋高等学校(現・菊川南陵高等学校)の兄弟校として、和歌山国際海洋高等学校の校名で開校。
- 1997年(平成9年)- 校名を国際開洋第二高等学校に改称。
- 2010年(平成22年)- 井脇ノブ子が理事長及び校長を退任。
- 2011年(平成23年) - 2011年度をもって一時休校とし、在校生徒を菊川南陵高等学校で受け入れること、2012年(平成24年)度の生徒募集を行わないことを発表[3]。
- 2016年(平成28年)- 校名を和歌山南陵高等学校に改称し再開校[13]。当面はスポーツコースの生徒のみが在籍する[4]。
- 2022年(令和4年)5月 - 給料の未払いなどにより教職員が3日間のストライキを決行し授業が中止される。和歌山県内の私立高校でのストライキは初めて[5]。
- 2024年(令和6年)4月 - 経営陣が全員退任。新たな理事長として、大分県でコンサルタント会社を経営する甲斐三樹彦が就任した[10]。甲斐は過去に南陵学園の営業部長も務めており、古巣の経営危機に立ち上がった格好になった[14]。
- 6月6日 - 新たな校歌を制定[15]。
- 8月4日 - バスケットボール部が令和6年度全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場。2回戦敗退[16]。
学科
[編集]- 全日制普通科
- アスリート・芸術コース
- 進学I類コース
- 進学II類コース
- 通信制普通科
- 自宅型
校歌
[編集]- 作詞:WARSAN、横川翔[1]
- 作曲:INFINITY16[1]
2024年6月6日に新たな校歌が制定された。作詞・作曲はレゲエアーティストで[15]、現理事長が営業部長で在籍していた当時から作成されていた[17]。レゲエの作曲技法であるダブが用いられ、『一歩前へ』(INFINITY16 feat.WARSAN)と『ドロだらけのスニーカー』(INFINITY16 feat.横川翔)を元に、新たに歌詞を加えて作られた[17]。全国でも珍しいレゲエ調の校歌で、全国高等学校野球選手権和歌山県大会で流れたのがきっかけに全国に知られることとなった[18]。
著名な出身者
[編集]- 羽畑公貴(サッカー選手、現サッカー部監督)
著名な教職員・関係者
[編集]- 田中幸雄(硬式野球部元助監督)
脚注
[編集]- ^ a b c d “和歌山南陵高等学校 - 学校概要”. 和歌山南陵高等学校. 2024年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e “過酷すぎる学校生活に転校者が続出 18人の生徒たちはなぜ和歌山南陵に残る選択をしたのか”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ a b “ホーム> 学校案内”. 国際開洋第二高等学校. 学校法人南陵学園. 2010年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月18日閲覧。
- ^ a b 元プロが野球部指導 校名変更し再開 日高川/和歌山 - 毎日新聞・2016年4月10日
- ^ a b “和歌山の私立高校 給料未払いなどで教職員スト 授業行われず | NHK | 教育”. 日本放送協会 (2022年5月11日). 2022年5月13日閲覧。
- ^ a b “過酷すぎる学校生活に転校者が続出 18人の生徒たちはなぜ和歌山南陵に残る選択をしたのか(2ページ目)”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ a b “学校法人「南陵学園」に静岡県が措置命令 財産確保など求める”. 朝日新聞. (2022年7月8日) 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b “和歌山南陵高、生徒募集停止 給料遅配などで法人に2度目の措置命令”. 朝日新聞. (2022年12月27日) 2023年1月3日閲覧。
- ^ a b “過酷すぎる学校生活に転校者が続出 18人の生徒たちはなぜ和歌山南陵に残る選択をしたのか(4ページ目)”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ a b 日本放送協会. “生徒募集停止の和歌山南陵高校 経営陣が新体制|NHK 和歌山県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年6月20日閲覧。
- ^ “部員6人で全国大会へ! 和歌山南陵高校 給与未払いで教員スト&生徒募集ストップ ただいまクラファンで“支援の輪”拡大中”. TBS NEWS DIG (2024年6月20日). 2024年6月20日閲覧。
- ^ “過酷すぎる学校生活に転校者が続出 18人の生徒たちはなぜ和歌山南陵に残る選択をしたのか(3ページ目)”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ 和歌山)和歌山南陵高校が開校 - 朝日新聞デジタル・2016年4月10日
- ^ “全校生徒18人、生徒募集停止の措置命令...それでも和歌山南陵高校が新たに「レゲエ校歌」をつくったワケ”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ a b “学校法人南陵学園 和歌山南陵高等学校 校歌”. YouTube (2024年6月13日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ “和歌山南陵バスケ部が起こした奇跡 部員6人でインターハイ出場、「走らないバスケ」で日本一を目指す (4ページ目)”. Sportiva (2024年8月7日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ a b “全校生徒18人、生徒募集停止の措置命令...それでも和歌山南陵高校が新たに「レゲエ校歌」をつくったワケ(2ページ目)”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。
- ^ “全校生徒18人、生徒募集停止の措置命令...それでも和歌山南陵高校が新たに「レゲエ校歌」をつくったワケ(3ページ目)”. Sportiva (2024年8月6日). 2024年10月15日閲覧。