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国際連合安全保障理事会決議598

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国際連合安全保障理事会
決議598
日付: 1987年7月20日
形式: 安全保障理事会決議
会合: 2,750回
コード: S/RES/598
文書: 英語

投票: 賛成: 15 反対: 0 棄権: 0
主な内容: イラン・イラク戦争に関して
投票結果: 採択

安全保障理事会(1987年時点)
常任理事国
中華人民共和国の旗 中国
フランスの旗 フランス
イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
非常任理事国
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ブルガリアの旗 ブルガリア
コンゴ共和国の旗 コンゴ共和国
西ドイツの旗 西ドイツ
ガーナの旗 ガーナ
イタリアの旗 イタリア
日本の旗 日本
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
ベネズエラの旗 ベネズエラ
ザンビアの旗 ザンビア

イラン・イラク戦争

国連安全保障理事会決議598(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ598、: United Nations Security Council Resolution 598,UNSCR598)は、1987年7月20日に全会一致で採択された決議である[1][2]

国際連合安全保障理事会決議582および国際連合安全保障理事会決議588を踏まえて、イランイラクイラン・イラク戦争の即時停戦を求め、戦争で虜囚となった人たちの帰国、双方の軍の自国への撤退についても要求した。

またこの決議は、紛争終了のための和解がなった後、停戦を監視するためのオブザーバーのチームを派遣するよう事務総長に要請している。

決議は翌年の8月8日に発効し、両国はすべてのイラン・イラク戦争に関する戦闘行動を終結させた。イラン・イスラム共和国の元首である初代最高指導者ルーホッラー・ホメイニーは、自身が領有を主張していた地域での停戦について 「殉教をした人々は幸せである。私がまだ生き残っているのは不幸である。 …この決定を下すことは、毒杯の水を飲むよりも致命的だ。私はアッラーの意志に服従し、彼の満足のためにこの水を飲んたのだ」と発言した[要出典]。イランがイラクとの停戦に署名したことを発表した1988年7月20日当日のことである。

598号決議の承認後

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その後も、戦闘は継続したが、イランとイラクの両方が決議を受け入れたのは、1988年8月8日となった。

双方は最終的に数週間以内に自国内に撤退し、すべての戦闘作戦を終了した[3]1988年8月9日に採択された決議619により国際連合イラン・イラク軍事監視団(UNIIMOG)としてミッションに所属する国連平和維持活動部隊が設置され、1991年までイランとイラクの国境付近に留まった。

関連項目

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参考文献

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  1. ^ UN Security Council Resolution 598, Iran / Iraq”. 2017年1月4日閲覧。
  2. ^ Farrokh, Kaveh (20 December 2011). Iran at War: 1500–1588. Oxford: Osprey Publishing. ISBN 978-1-78096-221-4 
  3. ^ Dodds, Joanna; Wilson, Ben (6 June 2009). “The Iran–Iraq War: Unattainable Objectives”. Middle East Review of International Affairs 13 (2). http://www.gloria-center.org/2009/06/dodds-wilson-2009-06-06/. 

外部リンク

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