国鉄トム60000形貨車
国鉄トム60000形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | 無蓋車 |
運用者 | 日本国有鉄道 |
所有者 | 日本国有鉄道 |
製造所 | 国鉄工場 |
製造年 | 1956年(昭和31年) |
製造数 | 400両 |
種車 | トキ900形 |
改造所 | 盛岡工場、新小岩工場 |
改造数 | 200両 |
消滅 | 1985年(昭和60年) |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 8,100 mm |
全幅 | 2,740 mm |
全高 | 2,255 mm |
荷重 | 15 t |
実容積 | 39.4 m3 |
自重 | 8.7 t |
換算両数 積車 | 2.0 |
換算両数 空車 | 0.8 |
走り装置 | 二段リンク式 |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 4,300 mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄トム60000形貨車(こくてつトム60000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した無蓋貨車である。
概要
[編集]1956年(昭和31年)に製造された、15 トン積み二軸無蓋車で、600両(トム60000 - トム60599)が国鉄工場で製造された。国鉄最後の新製「トム」である。このうちの200両(トム60000 - トム60199)は、当時余剰となっていたトキ900形の改造名義で製作されているが、一部の部品流用にとどまっている。200両の内訳は盛岡工場100両、新小岩工場100両である。
本形式が計画された1954年(昭和29年)の日本は不況下にあり、小単位輸送のできる小形貨車が求められていた。その経緯により、1955年(昭和30年)度から翌年度にかけて10トン積みの有蓋車(ワ10000形など)が新製されており、本形式はその無蓋車版として計画された。しかし、本形式が落成した1956年(昭和31年)には不況から回復し、逆に輸送力増強が急務となっていたのは皮肉であった。
本形式の車体は、戦前のトム50000形、戦中のトラ20000形を基本として改良を加えたもので、下回りは次級トラ35000形と同じ軸距4,300 mmに拡大され、軸ばね受けは二段リンク式となっており、最高運転速度は75 km/hと近代化も図られている。荷台については、トラ20000形の改造により製作されたトム25000形とほぼ同様であり、内法は長さ7,200 mm、幅2,480 mm、あおり戸高さ850 mm、妻板高さ1,150 mm、床面積17.9 m2、容積39.4 m3で、車体は木製である。あおり戸は片側2枚で、中央部の側柱は取り外し式となっている。その他の主要諸元は、全長8,100 mm、全幅2,740 mm、自重8.7 tである。
汎用無蓋車として全国で使用されたが、両数が多くないこともあり、目立った存在ではなかった。1965年(昭和40年)頃から事業用車代用として使用されるものも多くなり、特に中部支社には多数が配置されていた。1973年(昭和48年)度から本格的な廃車が始まり、1985年(昭和60年)度に形式消滅となった。
同形車
[編集]羽後交通トム3形
[編集]トム3形は、羽後交通が1960年(昭和35年)7月に協三工業で2両(トム3, トム4)が製造された同形車である。トム3は雄勝線、トム4は横荘線に配属されたが、1966年(昭和41年)にトム5形(国鉄トラ30000形同形車)が竣功すると、トム3は横荘線に移った。両車とも、国鉄直通車として使用されたが、認可は1967年(昭和42年)のことであった。1971年(昭和46年)7月には、雄勝線の内燃化に備えて機材を運ぶため、雄勝線に移動した。廃車は両車とも同年12月である。
西武鉄道トム2001形
[編集]1960年(昭和35年)と1961年(昭和36年)に所沢車輌工場で製作された15 t 積四枚側木造無蓋車。国鉄トム60000形のコピー車で2段リンク式で新造されている。15両在籍。
参考文献
[編集]- 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、鉄道史資料保存会刊 ISBN 4-88540-076-7
- 若林 宣「RM LIBRARY 52 羽後交通雄勝線―追憶の西馬音内電車―」2003年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5028-9
- 若林 宣「RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線―オラほの横荘っこ―」2004年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5060-2
- 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
- 吉岡心平「プロフェッサー吉岡の貨車研究室 第57回」レイルマガジン 2012年5月号(No.344)