広島県立因島高等学校
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広島県立因島高等学校 | |
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北緯34度19分34.7秒 東経133度8分39.2秒 / 北緯34.326306度 東経133.144222度座標: 北緯34度19分34.7秒 東経133度8分39.2秒 / 北緯34.326306度 東経133.144222度 | |
過去の名称 |
御調郡土生町女子実業補習学校 御調郡土生町立広島県土生実科高等女学校 広島県土生高等女学校 広島県立土生高等女学校 広島県土生高等学校 広島県因島高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島県 |
併合学校 | 広島県立因島北高等学校 |
校訓 | 自重互敬 |
設立年月日 | 1920年(大正9年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 |
総合学科(全日制) 普通科(定時制) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D134210000391 |
高校コード | 34206J |
所在地 | 〒722-2194 |
広島県尾道市因島重井町5574 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島県立因島高等学校(ひろしまけんりつ いんのしま こうとうがっこう)は広島県尾道市因島にある県立の高等学校。
概要
[編集]- 校訓
- 「自重互敬」
- 校章
- 校名をローマ字表記した場合の最初の2文字(in)を図案化したもの。英語で「HIGH SCHOOL」が付されている。
- 校歌
- タイトルは「夢に向かって」。作詞は平野祐香里、作曲は堀内俊男による。歌詞中に校名は登場しない。
沿革
[編集]学制改革前
[編集]- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)4月5日 - 同校への入学対象者を高等小学校卒業の女子とし、修業年限を3年と改正[1]。
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)12月7日 - 同校を土生町1080番地に移転[3]。
- 1938年(昭和13年)
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 同校に補習科を設置[注 6]。
- 1947年(昭和22年)
学制改革後
[編集]- 1948年(昭和23年)
- 5月3日 - 広島県土生高等学校が発足[注 8]。また、同校に定時制夜間課程を設置。さらに、昼間定時制の広島県土生高等学校因北分校と広島県土生高等学校生口分校を設置[3]。
- 5月10日 - 新制高等学校である同校の開校式を挙行[3]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)6月6日 - 同校の家庭科を生活科に改称[4]。
- 1952年(昭和27年)9月15日 - 因北分校の新校舎が完成[4]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 同校に昼間定時制の機械科を設置[4]。
- 1956年(昭和31年)5月31日 - 生口分校を廃止[4]。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 同校の全日制商業科の募集を停止[4]。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 同校を広島県因島高等学校に改称[4]。また、生活科を2学級に定員増加[4]。
- 1959年(昭和34年)3月31日 - 同校の全日制商業科を廃止[4]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 同校の生活科を家政科に改称[4]。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 同校機械科と因北分校が定時制から全日制に転換[4]。また、広島県本郷高等学校鷺浦分校を同校に移管[4]。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)
- 3月31日 - 広島県因島高等学校因北分校鷺浦教場を廃止[5]。
- 4月10日 - 因北分校と機械科が統合の上、重井町長浜に移転し「長浜校舎」となる。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 長浜校舎が分離の上、広島県因島北高等学校として独立。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立因島高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が付される)。
統廃合以後
[編集]- 1999年(平成11年)4月1日 - 広島県立因島北高等学校を統合の上、全日制課程総合学科と定時制課程普通科を設置[6]。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 現在地に新校舎が完成し移転を完了。
- 2010年(平成22年)- 広島県立瀬戸田高等学校を小規模校連携校に指定。[7]
著名な出身者
[編集]- 村上ショージ - コメディアン、日立造船因島工場に勤務時代、勤労学生として同校定時制に進学・卒業
- 田島治子 - 元サカイ引越センター社長
- 東ちづる - 女優
- 岡野昭仁 - ポルノグラフィティのヴォーカリスト
- 新藤晴一 - ポルノグラフィティのギタリスト
- 小野卓司 - NHKアナウンサー
- 湊かなえ - 小説家
- 寺西重郎 - 元一橋大学副学長、元イェール大学客員教授、紫綬褒章
- 寺西正司 - 元UFJ銀行頭取、元全国銀行協会会長
- 岡野 徹 - 元旭化成株式会社専務取締役、元旭有機材株式会社代表取締役社長、元高校同窓会東京支部長
- 吉原敬典 - 目白大学経営学部・大学院経営学研究科博士後期課程研究指導教授、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科兼任講師、ビジネスクリエーター研究学会会長、ホスピタリティマネジメント研究会会長
- 細川洪 - 俳優
- 須山浩継 - スポーツライター
- 田頭剛 - 元体操日本代表
- 石田好伸 - RSK山陽放送アナウンサー
- 福島萬治 - 元卓球選手
その他
[編集]- 旧因島市は、1953年に市制した瀬戸内海に浮かぶ1島1市(一部隣の生口島にも市域があり)で、鉄道路線は存在しない。
- 野球部は、1974年と1979年に県大会でベスト4まで進出した経験があるが、近年は低迷が続いている。
- 定時制では,第18回全国軟式野球定時制大会に出場を果たした。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 高等小学校を卒業した14歳以上の女子を対象とし、修業年限を1年とする[1]。
- ^ 組織改編および土生町への移管のため[1]。
- ^ 高等小学校を卒業した14歳以上の女子を対象とし、修業年限を2年とする[1]。
- ^ 組織改編で土生町立広島県土生実科高等女学校廃止のため[2]。
- ^ 同校が広島県に移管したため[3]。
- ^ 入学対象者を高等女学校卒業者とし、修業年限を1年とする[3]。
- ^ 学則改正のため[3]。
- ^ 学制改革により高等女学校が廃止され、男女共学の新制高等学校を設立したため。同校には、修業年限3年の広島県土生中学校を併設した[3]。
- ^ 高校三原則に基づく公立高等学校再編による[3]。
- ^ 鷺浦分校は、同日より広島県因島高等学校因北分校鷺浦教場と改組[5]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 「沿革」(日本語)『創立七十周年記念誌』(初版)広島県立因島高等学校同窓会「たちばな」会、広島県因島市土生町1080番地、1993年8月(原著1993年8月)。
- ^ 「沿革」(日本語)『創立七十周年記念誌』(初版)広島県立因島高等学校同窓会「たちばな」会、広島県因島市土生町1080番地、1993年8月(原著1993年8月)、11,12頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 「沿革」(日本語)『創立七十周年記念誌』(初版)広島県立因島高等学校同窓会「たちばな」会、広島県因島市土生町1080番地、1993年8月(原著1993年8月)。
- ^ a b c d e f g h i j k 「沿革」『創立七十周年記念誌』(初版)広島県立因島高等学校同窓会「たちばな」会、広島県因島市土生町1080番地、1993年8月(原著1993年8月)。
- ^ a b c 「沿革」『創立七十周年記念誌』(初版)広島県立因島高等学校同窓会「たちばな」会、広島県因島市土生町1080番地、1993年8月(原著1993年8月)。
- ^ “学校の沿革”. 広島県立因島高等学校 (2010年11月20日). 2014年10月22日閲覧。
- ^ “平成22年度_瀬高通信③” (PDF). 広島県立瀬戸田高等学校 (2010年6月24日). 2014年10月22日閲覧。