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四辻公賀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
四辻 公賀
時代 江戸時代末期 ー 明治時代
生誕 天保11年7月19日1840年8月16日
死没 明治13年(1880年12月19日
墓所 東京都台東区谷中霊園
官位 正三位参議
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 四辻家
父母 父:四辻公績、母:広橋麗仙(広橋胤定の娘)
養父:四辻公健
兄弟 公健公賀、績子、昌子、賢恕、正子、清子、重子、千賀子、公憲、多鶴子、光子、富子、公康、誠子、浅子、烏丸光徳
正親町順子(正親町実徳の娘)
公大、修次郎、満三郎、民四郎、賀子、布幾、芳子
養子:公康
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四辻 公賀(よつつじ きんよし)は、江戸時代末期から明治時代公卿。官位は正三位参議

経歴

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権大納言四辻公績の子として生まれる。嘉永5年(1852年)に叙爵、翌嘉永6年(1853年)に元服、昇殿、文久元年(1861年)に侍従従四位下に昇進、慶応元年(1865年)に参議、翌慶応2年(1866年)に従三位に昇進した。維新後は越後府知事・陸軍将・宮内権大丞・雅楽助を歴任した。

官歴

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家族

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脚注

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参考文献

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関連項目

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