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四国わがみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社四国わがみ
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
781-2110
高知県吾川郡いの町4035番地
設立 1950年
業種 製造業
法人番号 3490001005376 ウィキデータを編集
事業内容 和紙などの製造
外部リンク www.s-w.onamae.jp
特記事項:1919年創業。
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四国わがみ(しこくわがみ)は、高知県吾川郡いの町に所在する和紙製造業者[1]。おもに壁紙などに用いられる機械漉による土佐和紙を生産している[1]

かつては四国謄写堂(しこくとうしゃどう)という社名で、謄写版印刷用のロウ原紙の有名メーカーであった[2]

沿革

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1919年、刈谷繁馬が自宅で謄写版原紙の製造業を創業し、純雁皮紙を用いた品質の高い謄写版原紙を、全国へ出荷するようになった[3]

1950年には有限会社四国謄写堂として法人化し、1952年には株式会社に改組した[3]

「ガリ版」と通称された謄写版印刷用のロウ原紙「四国原紙」は、その質の高さで知られ、生産枚数も多く、当時の代表的な謄写印刷資材であった[4]

四国謄写堂は、最盛期であった1960年には、月産200万枚もの原紙を生産していた[2]。当時は『四国原紙 REPORT』という謄写版多色刷りの広報紙が製品に同梱されており、その発行部数は2万部と称されていた[4]

しかし、1970年代後半以降には、謄写ファックスが全盛期を迎え[5]、原紙への需要は後退し、四国謄写堂も1981年には原紙の生産をやめた[2]

1972年以降は、機械漉による製紙事業に注力するようになり、1989年には壁紙や襖紙の製造を開始した[3]

1996年には、商号を現在の株式会社四国わがみに変更した[3]

山形県山形謄写印刷資料館には、「四国原紙」のホーロー看板や、運搬用の通称「ポテ箱」などが収蔵されている[4]

脚注

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  1. ^ a b 株式会社四国わがみ”. イプロス. 2020年3月5日閲覧。
  2. ^ a b c 志村章子 (1998年4月1日). “頑張れガリ版、仲間“増刷”――ガリ版ネットワーク代表志村章子氏(文化)”. 日本経済新聞・朝刊: p. 40  - 日経テレコン21にて閲覧
  3. ^ a b c d 会社概要”. 四国わがみ. 2020年3月5日閲覧。
  4. ^ a b c 後藤卓也「連載 温孔知新 懐かしき謄写印刷とその魅力 ―― 今こそ先達の精神を学ぶとき」(PDF)『グラフィック・サービス』第786号、一般社団法人 日本グラフィックサービス工業会、2017年5月10日、26-27頁、2020年3月5日閲覧 
  5. ^ 事務用孔版印刷機の普及の歴史”. プリントシステム販売. 2020年3月8日閲覧。

外部リンク

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