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四ツ柳高茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも[1]/たかしげ[2])、1908年9月4日 - 1996年3月20日 )は、日本の経営者北海道函館市出身[3]。長男は化学工学者東北大学名誉教授の四ツ柳隆夫

来歴・人物

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函館の資産家[4]、四ツ柳亮策・イシの長男として生まれる[5]

旧制函館中学校旧制水戸高等学校を経て[4]1932年東京帝国大学経済学部経済学科を卒業[3]。東京での生命保険会社勤務の後に函館へ帰郷し静養[6]、その後帝国電力に入社[3]1948年5月に北海道配電(のちの北海道電力)に転じ、営業職を経て1955年に函館支店長[1]1959年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1974年5月に社長に就任[3]苫東厚真発電所建設と海外石炭の導入や北本連携設備の整備[7]泊発電所の建設に関わる[8]1983年6月に会長に就任し、1988年11月に取締役を経て、1989年6月から相談役を務めた[3]1984年5月に北海道経済連合会会長に就任し、北海道旅客鉄道取締役も務めた[3]

1969年10月に藍綬褒章を受章し、1987年に北海道開発功労賞を受賞し、1988年4月に勲一等瑞宝章を受章[3]

1996年3月20日呼吸不全のために死去[9]。87歳没。

趣味は登山で戦前から本州の山を登り北電入社後も羊蹄山や大雪山など北海道の殆どの山を登っていた[8]。また函館支店時代に稽古をつけられた小唄も長らく嗜み[10]、函館の芸者の間で歌われた「函館さのさ」の3番となる石川啄木の短歌「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」を織り込んだ歌詞を作詞している[11]

脚注

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  1. ^ a b 北の灯とともに 四ッ柳高茂北海道電力相談役回想録 第1回経営の体質強化に取り組んで - エネルギーフォーラム1991年7月号
  2. ^ 四ツ柳高茂「北海道のリニアモーターカー実用実験線(札幌~新千歳空港間)の誘致・建設計画について」 - 経団連月報1987年5月号(経済団体連合会)
  3. ^ a b c d e f g 興信データ株式會社 1991, よ1頁.
  4. ^ a b 北海道電力常務取締役 四ツ柳高茂 - 酒井節雄「電力役員 顔」(電力新報社 1967年)
  5. ^ よ之部 四ツ柳高茂 - 人事興信録 第23版 下(人事興信所)1966年
  6. ^ 石炭・石油・原子力・地熱等で安定供給体制を強化する北海道電力 - 経済時代1975年4月号
  7. ^ 北の灯とともに 四ツ柳高茂北海道電力相談役回想録(第4回)伊達火力と電源立地 - エネルギーフォーラム1991年10月号
  8. ^ a b 北の灯とともに 四ツ柳高茂北海道電力相談役回想録(第5回)危機から好機へ「泊発電所」 - エネルギーフォーラム1991年11月号
  9. ^ 1996年3月21日 日本経済新聞 夕刊 p19
  10. ^ 北の灯とともに 四ツ柳高茂北海道電力相談役回想録(第3回)電気料金改定の思い出 - エネルギーフォーラム1991年9月号
  11. ^ 四ツ柳高茂「啄木を偲んで」 - 通産ジャーナル1979年11月号(通商産業調査会)

参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。 
先代
岩本常次
北海道電力社長
第5代:1974年 - 1983年
次代
中野友雄