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喜多村久武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
喜多村久武
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦4年(1754年
死没 天保5年(1834年
別名 久隆、監物、源八
墓所 青森県弘前市貞昌寺
主君 津軽寧親信順
陸奥弘前藩
氏族 棟方氏喜多村氏
父母 棟方貞豊
喜多村親守
久隆
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喜多村 久武(きたむら ひさたけ)は、江戸時代中期から後期にかけての弘前藩士。

生涯

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棟方貞豊の次男として誕生。喜多村親守の養子となり、嫡男として育った。文化10年(1813年)に学問所御用掛を務め、文政5年(1822年)に用人となった。物産を担当し、「経済臆見」数冊を藩主津軽寧親に提出した。不始末により天保元年(1831年)、免職となり、隠居させられた。そのため、父の家督は嫡男の久隆が継いだ。

参考文献

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  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社