喜多村久武
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦4年(1754年) |
死没 | 天保5年(1834年) |
別名 | 久隆、監物、源八 |
墓所 | 青森県弘前市の貞昌寺 |
主君 | 津軽寧親→信順 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 棟方氏→喜多村氏 |
父母 |
棟方貞豊 喜多村親守 |
子 | 久隆 |
喜多村 久武(きたむら ひさたけ)は、江戸時代中期から後期にかけての弘前藩士。
生涯
[編集]棟方貞豊の次男として誕生。喜多村親守の養子となり、嫡男として育った。文化10年(1813年)に学問所御用掛を務め、文政5年(1822年)に用人となった。物産を担当し、「経済臆見」数冊を藩主津軽寧親に提出した。不始末により天保元年(1831年)、免職となり、隠居させられた。そのため、父の家督は嫡男の久隆が継いだ。
参考文献
[編集]- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社