唐順棋
とう じゅんき 唐 順棋 | |
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本名 | 同 |
別名義 |
唐沢 二郎(からさわ じろう) 早坂 紘(はやさか こう) 早坂 絋清(はやさか こうせい) |
生年月日 | 1929年1月16日(95歳) |
出生地 | 日本 神奈川県横浜市 |
国籍 |
中華民国 ⇒ 中華人民共和国 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 劇場用映画(時代劇・ピンク映画)、テレビ映画(時代劇) |
活動期間 | 1953年 - 1983年 |
主な作品 | |
劇場用映画 「トルコ拷問シリーズ」(「早坂紘」名義) テレビ映画 『遊星王子』(1958年 - 1959年) 『水滸伝』(時代考証、1973年 - 1974年) 『西遊記』(時代考証、1978年 - 1979年) 『斬り捨て御免!』(1980年 - 1982年) |
唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日本の映画監督である[1][2][3][4][5][6][7]。神奈川県横浜市生まれ、国籍は中華人民共和国である[1]。日本名唐沢 二郎(からさわ じろう)[1][2][3][4][5][7]、別名早坂 紘(はやさか こう)あるいは早坂 絋清(はやさか こうせい)の名でも活動した[3][4][5][7]。「早坂絋」「早坂絃」「早坂宏」と記されることもある。おもにテレビ映画において「唐順棋」、劇場用映画において「唐沢二郎」「早坂紘」を使い分けた[3][4][5][7]。連続テレビ映画『水滸伝』、『西遊記』では時代考証を手がけた[7][8]。
人物・来歴
[編集]時代劇の助監督から月光仮面へ
[編集]1929年(昭和4年)1月16日、神奈川県横浜市中区元町に生まれる[1][2]。『日本映画監督全集』によれば、本籍は中華人民共和国上海市延安東路にあるといい[1]、同国は1949年(昭和24年)10月1日に建国されており[9]、同書の記述が正しければ同国建国以降のものであり、唐の誕生の時点では同地は中華民国に属していた[10]。旧制・神奈川県立横浜第三中学校(現在の神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校)、旧制・第一高等学校(現在の東京大学教養学部)文科甲類を卒業し、第二次世界大戦後、京都大学法学部に進学した[1]。同学在学時の友人に当時の東映京都撮影所長であり、かつてのマキノ・プロダクション總務部次長であった長橋善語(長橋達夫[11])の子がおり、唐は長橋の薫陶を受けて映画界入りを決意したという[1]。
1953年(昭和28年)3月、同学を卒業するとともに、高村将嗣の宝プロダクション(京都市右京区)に入社する[1][12]。同社は当初は新東宝配給作品を製作していたが、東映配給に変更になり、同年には自主製作を中止、東映京都撮影所とステージ賃借契約を結んだ会社である[12]。唐は当初はマキノ雅弘、ついで渡辺邦男、中川信夫に師事した[1]。当時同社の助監督部には加藤泰の弟子として船床定男がいた[13][14]。同社は1958年(昭和33年)には倒産するが[12]、唐はすでにその前に退社しており、倒産前年の1957年(昭和32年)4月2日、同4月23日に東宝が製作・配給して公開された『早く帰ってコ』、『東京だヨおッ母さん』の2作にチーフの船床、セカンドの永倉君平につぐサード助監督としてクレジットされている[6]。宝プロダクションが倒産するころには、船床らとともに宣弘社と契約を結び、連続テレビ映画『月光仮面』で監督に抜擢された船床のチーフ助監督を務める[1]。1958年11月4日に放映開始した『遊星王子』では、唐沢 二郎の名で監督に昇進した[7]。
黎明期のピンク映画とテレビ時代劇の往復
[編集]1963年(昭和38年)、宣弘社との契約期間満了に伴い、かつて東宝のプロデューサーであった本木荘二郎に奨められ、成人映画『0の情痴』を監督する[1]。翌1964年(昭和39年)には歌舞伎座テレビ室と契約を結び、テレビ映画の世界に戻りつつ[1]、本木荘二郎のシネユニモンドで、『性の爆発』(1965年)、『情痴の果て』(同)、『女・三百六十五夜』(1966年)を「唐沢二郎」の名で発表する[4][5]。1968年(昭和43年)4月には、大井由次(小諸次郎)の青年群像で『女の秘絵図』を早坂 絋清の名で発表、同年7月には同じく青年群像で『0の陰獣 日本性犯罪史』を早坂 紘の名で発表[4][5]、以降これが唐の第3の名となる[3][4][5]。この時期、歌舞伎座テレビ室では助監督を務めており、1969年(昭和44年)4月28日に放映開始された連続テレビ映画『木石』(原作舟橋聖一)で監督に昇進した[7]。
1970年(昭和45年)7月4日に放映開始された連続テレビ映画『日本怪談劇場』では、全13話中12話で「監督補」を務め、第8話『怪談・首斬り浅右衛門』(同年8月22日放映)では監督を務めた[7]。1970年代の前半においては、『蛇姫様』(原作川口松太郎、1972年放映)、『怪談』(1972年放映)、『ご存知時代劇』(1973年放映)といった連続テレビ映画の監督を務め、1973年(昭和48年)10月2日に放映を開始した『水滸伝』(製作国際放映)では「時代考証」とクレジットされる等、テレビ映画を手がけるかたわら、「唐沢二郎」「早坂紘」を使い分けて多くの成人映画を発表した[3][4][5][7]。この時代に手がけた成人映画作品は、「コメディ・ピンク」と呼ぶべき「明るく軽妙なタッチ」の作品であったという[1]。『水滸伝』で初めて手がけた「時代考証」については、考証家の林美一に高く評価された[8]。
1970年代の後半においては、1978年(昭和53年)10月1日に放映を開始した『西遊記』(製作国際放映)の「時代考証」を手がけた以外は、精力的に成人映画の演出に取り組んだ[3][4][5][7]。同年2月25日に公開された『刺青』は、「唐順棋」名義でクレジットされた最初で最後の監督作であり、同作は凡天太郎と共同で監督したほか、凡天とともに出演もしている[4]。1979年(昭和54年)6月5日に公開された『トルコ拷問 激痛』に始まる「トルコ拷問シリーズ」は、シリーズ6作中4作を「早坂紘」名義で手がけている[4][5]。映画監督の旦雄二が「早坂紘」に師事したのはこの時代(1975年 - 1978年)である[15]。
1980年(昭和55年)4月9日に放映を開始した『斬り捨て御免!』では、全3シーズンを通じて合計16話を監督した[7]。1982年(昭和57年)6月に公開された『衝撃マントル 淫室密写』が記録に残る最後の劇場用映画である(「早坂紘」名義)[3][4][5]。テレビ映画も、1983年(昭和58年)3月16日に放映された『眠狂四郎円月殺法』第17話『美女姫身代り残忍剣-白須賀の巻-』を監督したのが最後である[7]。満54歳の時点で作品的には沈黙した[3][4][5][6][7]。
東京国立近代美術館フィルムセンターは、唐の監督作のうち、『男と女 ポルノ四十八態』、『痴漢クラブ 熱い肌の誘惑』、『ベッドマナー 男いびり』、『発情 おんな寝物語』の4作の上映用ポジプリントを所蔵している[3]。
フィルモグラフィ
[編集]クレジットは特筆以外はすべて「監督」である[1][3][4][5][6][7]。クレジットされた名はすべて名義を明記した[1][3][4][5][6][7]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[3]。
1950年代
[編集]- 『早く帰ってコ』:監督斎藤達雄、製作・配給東宝、1957年4月2日公開 - サード助監督・「唐順棋」名義
- 『東京だヨおッ母さん』 : 監督斎藤達雄、製作・配給東宝、1957年4月23日公開 - サード助監督・「唐順棋」名義
- 『月光仮面』:監督船床定男、製作宣弘社プロダクション/KRテレビ、1958年2月24日 - 1959年7月5日放映(連続テレビ映画) - 助監督・「唐順棋」名義
- 『遊星王子』:製作宣弘社プロダクション/日本テレビ放送網、1958年11月4日 - 1959年9月30日放映(連続テレビ映画) - 監督・「唐沢二郎」名義
1960年代
[編集]- 『0の情痴』:1963年公開[1]
- 『性の爆発』:主演早見京子、製作シネユニモンド、1965年7月公開(映倫番号 14024) - 「唐沢二郎」名義
- 『情痴の果て』[1][4](『情事の果て』[5]):製作高木丈夫、脚本団慎吾、主演山中溪子、製作シネユニモンド、配給明光セレクト、1965年11月公開(映倫番号 14231) - 「唐沢二郎」名義
- 『女・三百六十五夜』:製作高木丈夫、脚本団慎吾、主演・歌新高恵子、製作シネ・ユニモンド、配給明光セレクト、1966年2月公開(映倫番号 14374) - 高木丈夫と共同で監督・「唐沢二郎」名義
- 『女の秘絵図』:製作青年群像、1968年4月公開(映倫番号 15339) - 「早坂絋清」名義
- 『0の陰獣 日本性犯罪史』:主演一星ケミ、製作青年群像、1968年7月公開(映倫番号 15413) - 「早坂絋」名義
- 『舌なめずり』:製作青年群像、1968年9月公開(映倫番号 15508) - 「早坂絋」名義
- 『裸身の新妻』:製作青年群像、1969年1月公開(映倫番号 15686) - 「唐沢二郎」名義
- 『木石』:原作舟橋聖一、製作歌舞伎座テレビ室/フジテレビジョン、1969年4月28日 - 同年7月25日放映(連続テレビ映画) - 「唐沢二郎」名義
- 『泣き寝入り』:製作早坂プロダクション、配給ミリオンフィルム、1969年10月公開(映倫番号 16074) - 「早坂絋」名義
1970年代
[編集]- 『女の放し飼い』:製作関東映配、1970年1月公開(映倫番号 不明) - 「早坂絋」名義
- 『色と穴と銭』:製作ミリオンフィルム、1970年4月公開(映倫番号 16323) - 「早坂絋」名義
- 『遠い砂丘』:製作東海テレビ放送・歌舞伎座テレビ室[16]/フジテレビジョン、1970年3月30日 - 同年6月26日放映(連続テレビ映画) - 「唐順棋」名義
- 『日本怪談劇場』:製作歌舞伎座テレビ室/東京12チャンネル、1970年7月4日 - 同年9月26日放映(連続テレビ映画)
- 『怪談・蚊食鳥』:監督土居通芳、1970年7月4日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・牡丹灯籠 鬼火の巻』:監督中川信夫、1970年7月11日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・牡丹灯籠 蛍火の巻』:監督中川信夫、1970年7月18日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・宇津谷峠』:監督島津昇一、1970年7月25日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・皿屋敷』:監督宮下泰彦、1970年8月1日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『四谷怪談 稲妻の巻』:監督堀内真直、1970年8月8日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『四谷怪談 水草の巻』:監督堀内真直、1970年8月15日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・首斬り浅右衛門』:1970年8月22日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 『怪談・宵宮雨』:監督土居通芳、1970年8月29日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・笠森お染 幽霊茶屋』:監督外山徹、1970年9月5日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・耳無し芳一』:監督堀内真直、1970年9月12日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・乳房の呪い』:監督松永利昭、1970年9月19日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『怪談・雪女』:監督土居通芳、1970年9月26日放映 - 監督補・「唐順棋」名義
- 『美女・痴女・魔女』:製作ミリオンフィルム、1970年12月公開(映倫番号 16589) - 「早坂絋」名義
- 『肉のつまみぐい』(『性のつまみぐい』):製作ミリオンフィルム、1971年9月公開(映倫番号 16852) - 「早坂絋」名義
- 『あ~SEX いじめられたり、いじめたり』:主演藤ひろ子、製作ミリオンフィルム、1971年公開(映倫番号 不明) - 「早坂絋」名義
- 『蛇姫様』:原作川口松太郎、主演三浦布美子、製作歌舞伎座テレビ室/東京12チャンネル、1972年1月2日 - 同年3月26日放映(連続テレビ映画) - 「唐沢二郎」名義
- 『夫婦ごっこ』:主演宮下順子、製作ミリオンフィルム、1972年3月公開(映倫番号 17120) - 「唐沢二郎」名義
- 『入浴は情事の前に』:主演青山美沙、製作ミリオンフィルム、1972年6月公開(映倫番号 17210) - 「唐沢二郎」名義
- 『怪談』:製作歌舞伎座テレビ室/毎日放送、1972年放映(連続テレビ映画)
- 『私は我慢できない』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部製作ミリオンフィルム、1972年10月公開(映倫番号 17398) - 「唐沢二郎」名義
- 『ご存知時代劇』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部1973年1月4日 - 同年3月29日放映(連続テレビ映画)
- 第9回『伊豆の佐太郎』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部1973年3月1日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 『人妻交換 熟れた悶え』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部製作ミリオンフィルム、1973年5月公開(映倫番号 17593) - 「唐沢二郎」名義
- 『男と女 ポルノ四十八態』[3](『ポルノ四十八態』[4][5])東京大学大学院総合文化研究科・教養学部企画津島友孝、製作・脚本小諸次郎、主演島江梨子、製作青年群像[3]、配給ミリオンフィルム、1973年6月公開(映倫番号 17615) - 「唐沢二郎」名義、67分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵[3]
- 『痴漢クラブ 熱い肌の誘惑』[3](『熱い肌の誘惑』[4][5])東京大学大学院総合文化研究科・教養学部企画津島友孝、製作・脚本小諸次郎、主演泉ユリ、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1973年7月公開(映倫番号 17719) - 「早坂絋」名義、64分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵[3]
- 『ベッドマナー 男いびり』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部企画津島友孝、製作・脚本小諸次郎、主演青山美沙、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1973年9月公開(映倫番号 17781) - 「早坂絋」名義、66分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵[3]
- 『水滸伝』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部監督舛田利雄・高橋繁男・中川信夫・小沢啓一・西河克己・降旗康男・富本壮吉・村野鐵太郎・小俣堯・山崎大助、製作国際放映/日本テレビ放送網、1973年10月2日 - 1974年3月26日放映(連続テレビ映画) - 時代考証・「唐順棋」名義
- 『発情 おんな寝物語』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部企画津島友孝、製作・脚本小諸次郎、主演泉ユリ、製作・配給ミリオンフィルム、1974年1月公開(映倫番号 17885) - 「唐沢二郎」名義、64分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵[3]
- 『桃色OL派出会』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部製作ミリオンフィルム、1974年3月公開(映倫番号 17970) - 「唐沢二郎」名義
- 『白い滑走路』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部監督番匠義彰・大槻義一・前田陽一・今井雄五郎・井上梅次・山本邦彦、製作松竹・バリアンツ・TBS、1974年4月5日 - 同年9月27日放映(連続テレビ映画) - 監督補・「唐順棋」名義
- 『エロ事周旋屋』東京大学大学院総合文化研究科・教養学部製作東映ビデオ、1974年5月公開(映倫番号 18013) - 「唐沢二郎」名義
- 『純情OL日記 誘惑』:製作東映ビデオ、1974年6月公開(映倫番号 18068) - 「早坂絋」名義
- 『SEX相談室 情事四十八態』:製作東映ビデオ、1974年8月公開(映倫番号 18106) - 「早坂絋」名義
- 『発情OL SEXローン』:製作東映ビデオ、1974年10月公開(映倫番号 18157) - 「唐沢二郎」名義
- 『女ざかり 密室の歓び』:製作東映ビデオ、1974年11月公開(映倫番号 18216) - 「唐沢二郎」名義
- 『淫乱女子更衣室』:主演東祐里子、製作東映ビデオ、1975年3月公開(映倫番号 18293) - 「唐沢二郎」名義
- 『婦人科秘話 女医の診察室』:主演南ユキ、製作ミリオンフィルム、1975年7月公開(映倫番号 18411) - 「唐沢二郎」名義
- 『挑発!女子大生』:企画浅間義一、脚本池田正一、主演鏡レオ、製作東映ビデオ、1975年9月公開(映倫番号 18488) - 「唐沢二郎」名義
- 『痴漢快楽境』:主演泉ユリ、製作大蔵映画、1976年7月31日公開(映倫番号 18782) - 「早坂絋」名義(関孝二説あり)
- 『性道男一代』:主演南ゆき、製作・配給大蔵映画、1976年9月11日公開(映倫番号 18851) - 「早坂絋」名義
- 『女医の告白 産科婦人科』:主演北洋子、製作ミリオンフィルム、1976年11月23日公開(映倫番号 18894) - 「早坂絋」名義
- 『女高生性の乱れ』:主演青野梨魔、製作大蔵映画、1977年1月11日公開(映倫番号 18957) - 「早坂絋」名義
- 『子種入用 お腹貸します』:主演南ゆき、製作大蔵映画、1977年2月12日公開(映倫番号 18982) - 「早坂絋」名義
- 『変態婦人科医』:企画関原正雄、脚本池田正一、主演星亜也子、製作関東ムービー配給社、配給大蔵映画、1977年3月4日公開(映倫番号 19021) - 「早坂絋」名義
- 『強欲暴姦魔』:主演原悦子、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1977年5月公開(映倫番号 19079) - 「早坂絋」名義
- 『快楽痴漢バス』:主演北川玲子、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1977年8月公開(映倫番号 19126) - 「早坂絋」名義
- 『ラブホテル 舐める』:主演杉佳代子、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1977年11月公開(映倫番号 19187) - 「唐沢二郎」名義
- 『刺青』:主演潤まり、製作ユニバースプロモーション、配給東映、1978年2月25日公開(映倫番号 18688) - 凡天太郎と共同で監督・出演・「唐順棋」名義
- 『西遊記』:監督渡邊祐介・福田純・山崎大助・田中康隆・池広一夫・黒田義之・青木敏、製作国際放映/日本テレビ放送網、1978年10月1日 - 1979年4月1日放映(連続テレビ映画) - 時代考証・「唐順棋」名義
- 『絶倫トルコマンション 密戯』:主演中野リエ、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1979年3月6日公開(映倫番号 19673) - 「早坂絋」名義
- 『トルコ拷問 激痛』:主演笹木ルミ、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1979年6月5日公開(映倫番号 19764) - 「早坂絋」名義
- 『トルコ拷問 悶絶』:主演松本レイ、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1979年10月2日公開(映倫番号 19861) - 「早坂絋」名義
- 『聖女わななき』[4](『聖女わななく』[5]):主演吉田康代、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1979年11月6日公開(映倫番号 19903) - 「早坂絋」名義
1980年代
[編集]- 『トルコ拷問 搾る』:主演豪田路世留、製作・配給ミリオンフィルム、1980年1月8日公開(映倫番号 19944) - 「早坂絋」名義
- 『変態みだら指』:主演笹木ルミ、製作ミリオンフィルム、1980年3月4日公開(映倫番号 19974) - 「早坂絋」名義
- 『斬り捨て御免!』:製作東京12チャンネル/歌舞伎座テレビ、1980年4月9日 - 同年9月24日放映(連続テレビ映画)
- 第19話『黄金地獄の闇を斬る』:1980年8月6日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第20話『闇夜に笑う天狗の面』:1980年8月13日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第25話『野獣討つべし』:1980年9月17日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第26話『江戸城危機一髪』(最終回):1980年9月24日
- 『トルコ拷問 咬む』:主演朝霧ユカ、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1980年8月公開(映倫番号 110127) - 「早坂絋」名義
- 『痴漢公園 さすり泣き』:主演浦野あすか、製作青年群像、配給ミリオンフィルム、1980年11月公開(映倫番号 110184) - 「早坂絋」名義
- 『肉の罠 はめる!』:主演竹村祐佳、製作ミリオンフィルム、1981年5月公開(映倫番号 110396) - 「早坂絋」名義(小諸次郎説あり)
- 『女子学生わななく』:主演豪田路世留、製作ミリオンフィルム、1981年9月公開(映倫番号 110511) - 「早坂絋」名義
- 『斬り捨て御免!』(第2シリーズ):製作テレビ東京/歌舞伎座テレビ、1981年4月8日 - 同年9月16日放映(連続テレビ映画)
- 第5話『女呪いの双つぼくろ』:1981年4月29日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第8話『花吹雪獄門剣』:1981年5月20日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第15話『幽鬼が狙った瓦版』:1981年7月8日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第16話『闇夜になく母子鶴』:1981年7月15日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第21話『女を漁る凶悪の牙』:1981年8月19日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第22話『江戸浪人街の血闘』:1981年8月26日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第24話『死を呼ぶ子守唄』:1981年9月9日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 『お命頂戴!』:製作テレビ東京/歌舞伎座テレビ、1981年10月7日 - 同年12月30日放映(連続テレビ映画)
- 第2回『血染めの陰謀絵図』:1981年10月14日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第5回『孤剣闇を裂く』:1981年11月4日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第10回『影を操る極悪人』:1981年12月9日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 『衝撃マントル 淫室密写』:主演山地美貴、製作ミリオンフィルム、1982年6月公開(映倫番号 110786) - 「早坂絋」名義
- 『斬り捨て御免! PART3』:製作テレビ東京/歌舞伎座テレビ、1982年6月9日 - 同年11月17日放映(連続テレビ映画)
- 第6話『暗闇目付が仕掛けた必殺罠』:1982年7月14日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第7話『謀略血で染めた御用金強奪』:1982年7月21日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第14話『生き地獄女悪鬼の棲む館』:1982年9月8日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第16話『狙われた姫 魔界の女呪術師』:1982年9月22日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第20話『女ねずみが天井裏で鳴く』:1982年11月3日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 『眠狂四郎円月殺法』:製作テレビ東京/歌舞伎座テレビ、1982年11月24日 - 1983年3月30日放映(連続テレビ映画)
- 第10話『無頼子連れ旅必殺剣-府中の巻-』:1983年1月26日放映 - 監督・「唐順棋」名義
- 第17話『美女姫身代り残忍剣-白須賀の巻-』:1983年3月16日放映 - 監督・「唐順棋」名義
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q キネ旬[1976], p.125.
- ^ a b c 唐沢二郎、jlogos.com, エア、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 唐沢二郎・早坂紘、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 唐順棋・唐沢二郎・唐沢次郎・早坂紘・早坂絋清、日本映画情報システム、文化庁、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 唐沢二郎・早坂絋、日本映画データベース、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e 唐順棋、資料室、東宝、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 唐順棋・唐沢二郎、テレビドラマデータベース、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b 林[1974], p.269.
- ^ 大辞林 第三版『中華人民共和国』 - コトバンク、2014年6月30日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉『中華民国』 - コトバンク、2014年6月30日閲覧。
- ^ 1929年 マキノ・プロダクション(御室撮影所)所員録、立命館大学、2014年6月30日閲覧。
- ^ a b c 宝プロダクション撮影所、立命館大学、2014年6月30日閲覧。
- ^ 樋口[2008], p.105.
- ^ ガミさんの遺言、木全公彦、マーメイドフィルム、2014年7月1日閲覧。
- ^ まずは自己紹介から、旦雄二、2013年8月1日付、2014年6月30日閲覧。
- ^ 遠い砂丘 61-65(最終回)、早稲田大学学術情報検索システム、2014年6月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 『江戸の千一夜 時代劇に描く時代考証家の夢』、林美一、桃源社、1974年
- 『日本映画監督全集』、キネマ旬報第698号、キネマ旬報社、1976年発行
- 『「月光仮面」を創った男たち』、樋口尚文、平凡社新書、平凡社、2008年9月 ISBN 4582854354