コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

和賀義忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
和賀 義忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正19年(1591年
官位 薩摩守[1]
氏族 和賀氏
父母 和賀義勝
兄弟 稗貫広忠義忠
忠親
テンプレートを表示

和賀 義忠(わが よしただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将陸奥国二子城主。

人物

[編集]

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐に名代を派遣し自らは参陣しなかったため、豊臣政権の奥州仕置により所領没収、居城追放処分となったが、浅野長政らの奥州仕置軍が撤退すると、和賀氏の残党を率いて和賀・稗貫一揆を起こし、二子城を奪取した。

翌年の天正19年(1591年)、蒲生氏郷軍が侵攻し、義忠は逃走した。逃走の途次、落ち武者狩りに遭い義忠は殺害された[1]

これらを恨んだ子の忠親は、伊達政宗と共に岩崎一揆を起こすこととなる。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 阿部 1990, p. 848.

参考文献

[編集]
  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、848頁。ISBN 4404017529