コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

和爾下神社 (大和郡山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和爾下神社

和爾下神社 本殿
所在地 奈良県大和郡山市横田町字治道23
位置 北緯34度37分10.89秒 東経135度48分28.04秒 / 北緯34.6196917度 東経135.8077889度 / 34.6196917; 135.8077889 (和爾下神社 (大和郡山市))座標: 北緯34度37分10.89秒 東経135度48分28.04秒 / 北緯34.6196917度 東経135.8077889度 / 34.6196917; 135.8077889 (和爾下神社 (大和郡山市))
主祭神 素盞嗚命・大己貴命・櫛稲田姫命
社格 式内社(小)・旧指定村社
本殿の様式 二間社流造・銅板葺
例祭 7月7日祇園祭[1]
9月13日例祭[1]
地図
和爾下神社の位置(奈良県内)
和爾下神社
和爾下神社
テンプレートを表示

和爾下神社(わにしたじんじゃ)は、奈良県大和郡山市横田町にある神社式内小社、旧社格村社神饌幣帛料供進社[2]

祭神

[編集]

歴史

[編集]

高瀬川和爾川の合流地点より1.5キロメートルの南岸に位置し、古道竜田道に面して鎮座する[3][4]。およそ2.5キロメートル東の天理市和爾下神社(上治道宮)に対して、下治道(しもはるみち・しもじどう)宮、下治道天王とも呼ばれる[4]延喜式神名帳添上郡にみえる和尓下神社二座の一座とされる[4]

この神社の周辺はかつて和珥氏同族の櫟井氏の根拠地であったとみられ、神社北の横田下池からは弥生期に遡る遺物も検出されている。この神社も本来は櫟井氏の祖神を祀る神社で、その本源は和珥氏の祖神天足彦国押人命であったのではないかとみられる[3]。氏子は遠く南山城祝園村にまで及んだと伝わる[3]

境内

[編集]
境内

本殿

[編集]

二間社流造で銅板葺[1]春日大社摂社水谷神社の旧社殿が寛永10年(1633年)に譲渡されたとの記録がある[5]

境内社

[編集]
本殿東方
  • 春日若宮社[1]
  • 金比羅宮[1]
  • 天照皇大神宮[1]
  • 春日大明神[1]
本殿西方[注釈 1]
  • 八幡神社[1]
  • 住吉神社[1]
  • 白山神社[1]
  • 諏訪神社[1]
  • 恵美須神社[1]
  • 貴船神社[1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 本殿西方の神社一覧は奈良県史の記述によるが、2018年8月現在現地にある境内社とは齟齬がある。具体的には諏訪、恵美須の両社が存在せず、代わって厳島、子守、高龗の三社が鎮座する。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 奈良県史, p. 304.
  2. ^ 奈良県史, p. 54.
  3. ^ a b c d e f 奈良県史, p. 329.
  4. ^ a b c 寺院神社大事典, p. 832.
  5. ^ 奈良県史 建築, p. 911.

参考文献

[編集]
  • 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。ISBN 462601335X 
  • 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 8 建築』名著出版、1998年。 
  • 平凡社 編『大和・紀伊寺院神社大事典』平凡社、1997年。ISBN 4582134025 

外部リンク

[編集]