和智治郷
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 天正4年(1576年) |
官位 | 信濃守 |
主君 | 毛利元就→隆元→輝元 |
氏族 | 藤原北家秀郷流波多野氏庶流和智氏 |
子 | 由郷 |
特記 事項 | 嫡男の由郷が早世したため、嫡孫の元次が後を継いだ。 |
和智 治郷(わち はるさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。備後国の国人である和智氏の一門で、毛利氏の家臣。
生涯
[編集]具体的な系譜は不明だが、備後国三谿郡吉舎[注釈 1]の南天山城を本拠とした国人である和智氏に生まれる。
弘治3年(1557年)9月18日、毛利氏の五奉行である赤川元保、粟屋元親、児玉就忠、国司元相、桂元忠から周防国玖珂郡岩国において10貫文の地を与える旨の打渡状を発給される[注釈 2][1][2]。
天正4年(1576年)に死去[3]。嫡男の由郷(生右衛門)は早世しており[3]、同年9月26日に嫡孫の元次が「中尾姥」の死後に家督と所領を相続することを毛利輝元に認められた[4]。