味仙
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒464-0850 愛知県名古屋市千種区今池1丁目12番10号 北緯35度10分4.5秒 東経136度56分9.5秒 / 北緯35.167917度 東経136.935972度座標: 北緯35度10分4.5秒 東経136度56分9.5秒 / 北緯35.167917度 東経136.935972度 |
設立 | 1962年(昭和37年) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4180002051128 |
事業内容 | 中華料理店の経営 |
代表者 | 郭幸治 |
支店舗数 | 10店舗 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
味仙(みせん)は、株式会社味仙本店が運営する日本の中華料理・台湾料理店。
愛知県名古屋市千種区今池にある今池本店を含めた3店の直営店、7店の系列店がある。中華料理でありながら名古屋めしの代表格とされる、ご当地ラーメンの台湾ラーメンで知られる。
歴史
[編集]味仙の前史
[編集]味仙の創業者郭明優の父・郭明仁[WEB 1]は、台湾大甲の大地主でパナマを商う家の末子として生まれたが、相続した財産を使い果たしてしまい、1938年(昭和13年)ごろ、パナマを京阪神で売り歩いて糊口をしのぐことにしたという[1]。のち、神戸の造船所で働くようになった[2]。終戦を尼崎市で迎えた[WEB 1]一家は上京することにしたが、明優の母の体調が優れず途中名古屋で降りることになったが、そのまま名古屋に定着することになったという[3][WEB 1]。
味仙の創業
[編集]名古屋での郭一家の生活を支えるため、明仁が名古屋駅近くに開店した「万福」[WEB 1]が味仙のルーツとなった。当時愛知県立明和高等学校在学中だった明優の尽力により、味仙としてリニューアルオープンしたという[4]。
1962年(昭和37年)3月27日、今池に20坪約30席の店舗を構え再出発した[5]。最初はランチ営業も行っていたものの、次第に開店時間が遅くなり、それに従って閉店時間も遅くなったという[6]。今池本店の営業時間は2019年(令和2年)時点でも17時30分から翌2時となっている[WEB 2]。その当時の看板メニューは、酒のツマミとなる鶏の手羽先辛煮であったという[7]。これは同じく名古屋めしとして知られる風来坊の手羽先唐揚げより提供の時期が早かった[8]。
台湾ラーメン発祥の店
[編集]味仙の看板メニューとして知られる台湾ラーメンが誕生したのは、1970年(昭和45年)頃だという[9]。これは台湾の担仔麺を大阪万博の会場で探したが見つからなかったために自ら作ったのがきっかけであるという[10]。担仔麺自体は辛いものではないが、明優自身が辛いものが好きであったために工夫してまかないとして食べていたのを常連客に提供したのが台湾ラーメンのはじまりである[11][WEB 3][WEB 4]。台湾ラーメンの名称は台湾人が作ったラーメンということで命名されたものである[12]。
台湾ラーメンは昭和60年代に生じた激辛ブームに乗り、店の看板メニューとなった[13]。味仙では客の半数が台湾ラーメンを注文するという[13]。そればかりではなく近隣の中華料理店などにも波及し、名古屋のご当地ラーメンとして定着するに至ったとされる[13]。大竹敏之(2015)によれば、名古屋のラーメン店・中華料理店の半数で、台湾ラーメンがメニューとして置かれているという[13]。また、大竹による電話調査によれば、名古屋市内のラーメン店は総じて味仙の台湾ラーメンを参考にしたと認めているという[14]。味仙は他店が台湾ラーメンの名称で同様のメニューを提供することに対しては肯定的であり、商標登録を取るつもりは全くないという[14]。
味仙の台湾ラーメンは、前述の通り激辛ブームにより人気メニューとなったが、単に辛さを求めるのではなく、スープと辛さのバランスにこだわっているという[15]。
味仙の拡大
[編集]同じく1970年(昭和45年)ごろ、明優の長弟が豊田市に味仙豊田店を開業している[注 1][16]。これはのちに名古屋市天白区八事に移転し、味仙八事店となっている[16]。
沿革
[編集]- 1945年(昭和20年) - 明優の父明仁が笹島にて味仙の前身となる中華料理店「万福」を創業[17]。その後、大須に転じ、天ぷら屋、射的屋も商うようになる[17]。
- 1953年(昭和28年) - 笹島の「万福」を「大和食堂」と改める[17]。
- 1957年(昭和32年) - 「大和食堂」を「味仙」と改める[18]。
- 1962年(昭和37年) - 今池に移転する[18]。
- 1965年(昭和40年) - 味仙豊田店が開店[WEB 5]
- 1970年(昭和45年) - 台湾ラーメンが誕生する[19]。
- 1973年(昭和48年) - 味仙八事店が開店[19]。
- 1981年(昭和56年) - 味仙下坪店が開店する[19]。
- 1983年(昭和58年) - 味仙藤が丘店が開店する[19]。
- 1987年(昭和62年) - 味仙焼山店が開店する[19]。
- 1999年(平成11年) - 味仙矢場店が開店する[20]。
- 2001年(平成13年) - 味仙今池本店が改築[20]。
- 2002年(平成14年) - 味仙今池本店に近接して喫茶「ジャスミン」が開業[21]。振るわず4年後に閉鎖[21]。
- 2005年(平成17年) - 味仙中部国際空港店開店[21]。
- 2007年(平成19年) - 味仙竹の山店開店[21]。
- 2013年(平成25年) - 味仙名古屋駅店開店[21]。
- 2014年(平成27年) - 味仙大名古屋ビル店開店[22]。
- 2020年(令和2年)2月28日 - 味仙豊田店開店[WEB 6]。
- 2023年(令和5年)3月29日 - 創業者の郭明優が死去。82歳没[WEB 7]。
- 2023年(令和5年)4月6日 - 味仙刈谷店開店
- 2023年(令和5年)11月20日 - 味仙住吉店開店
メニュー
[編集]味仙は郭明優とその弟妹によって、それぞれ独立採算で運営されている[23]。そのため、一部にメニューの差異が存在する[24]。
台湾ラーメン
[編集]-
味仙の台湾ラーメン
-
日進竹の山店の台湾らーめん(「トッピング式すっきり系」)
-
矢場店の台湾ラーメン(「ミックス式濃厚系」)
看板メニューである台湾ラーメンも味付けが異なり、大竹敏之(2015)によれば、「トッピング式すっきり系」と「ミックス式濃厚系」に大別されるという[13]。前者は今池本店・中部国際空港店・八事店・焼山店・日進竹の山店で供されており、ミンチをスープへ入れるのを調理の最後にすることで、スープが透明になるといい、辛さは強いものの、後味がすっきりするのが特徴であるとされる[13]。また後者は矢場店・下坪店・藤が丘店・名古屋駅店で採られている調理法で、ミンチを一緒に煮込むためスープは濁っており、旨味やコクがあるとされる[13]。台湾ラーメンには「アメリカン」と呼ばれる種類があるが、これも下坪店では台湾ラーメンのスープに普通のラーメン用のスープを入れて薄めたものを、八事店では辛いミンチを減らし、代わりに醤油とラー油を増したものを提供している[25]。
「台湾ラーメン・アメリカン」は辛さを抑えたもので、アメリカン・コーヒーにちなんで客が名付けたものという[WEB 8]。また、逆に唐辛子を増量した「台湾ラーメン・イタリアン」もあり、これもエスプレッソにちなんで誰ともなしに言い出したものという[WEB 8]。さらには「台湾ラーメン・アフリカン」も提供されている[WEB 8]。このほか味仙矢場店では、「台湾ラーメン・メキシカン」、「台湾ラーメン・エイリアン」[WEB 9]、味仙藤が丘店には「台湾ラーメン・ヨード」などもあるという[要出典]。ただし、台湾ラーメンとアメリカン以外はメニューに載っていない裏メニューであり、辛さの弱い方から並べると「ヨード」[要出典]、「アメリカン」、「台湾ラーメン」、「イタリアン」、「メキシカン」、「アフリカン」、「エイリアン」の順である[WEB 9]。
味仙今池本店と中部国際空港店では、台湾ラーメンの持ち帰り用商品を取り扱っている[26]。
末弟の郭政良は、「塩台湾らーめん」を考案し自身が経営する店舗で提供している[27][WEB 10]。また、東京の店では東京限定メニューとして、「台湾ラーメン味噌」と「台湾ラーメンカレー」もあった[WEB 11]。
ギャラリー
[編集]-
Aセット(台湾ラーメンと青菜炒め)
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青菜炒め
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子袋
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チャーハン
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台湾丼(台湾飯)
-
餃子
店舗
[編集]直営店
[編集]郭明優が経営していた店舗
[編集]郭明優が経営していた店舗は以下の3店である[28]。子の郭幸治が引き継いでいる[WEB 12]。
- 大名古屋ビルチング店 - 愛知県名古屋市中村区名駅3-28-12 大名古屋ビルヂング3F
- 2015年(平成27年)開店[31]。
-
今池本店
-
JR名古屋駅店
-
旧中部国際空港店
系列店
[編集]長弟が経営していた店舗
[編集]長弟の郭茂蔵が経営していた店舗は以下の1店である[28][WEB 13]。
- 1970年(昭和45年)ごろに味仙豊田店として開店し[注 1]、1973年(昭和48年)に移転改称した[16]。郭茂蔵は2017年(平成29年)に亡くなり、後に末弟の郭政良が運営を引き継いでいる[32][WEB 15]。
長妹が経営している店舗
[編集]長妹の早矢仕黎華が経営している店舗は以下の3店である[28][WEB 16]。「矢場味仙」の屋号を用いる。
- 元々は郭明優による直営店の「中部国際空港店」として2005年(平成17年)開業[30][WEB 19]したが、2021年(令和3年)6月に閉店[WEB 20]。その後長妹の早矢仕黎華が2022年(令和4年)3月24日に再出店した[WEB 21]
-
味仙矢場店
末妹が経営している店舗
[編集]末妹の杉山淑子が経営している店舗は以下の2店である[28][WEB 22]。
- 2013年(平成25年)開店[31]。約150席[31]。
- 味世郡山本店 - 福島県郡山市安積3-301
- 住吉店 - 愛知県名古屋市立中区栄3丁目
- 2023年(令和5年)11月20日開店。末妹の杉山淑子の長男、杉山照一がオーナーを務めている。本店舗限定メニューとして、薬膳鍋がある。
-
味仙藤が丘店
-
味仙名古屋駅店
末弟が経営している店舗
[編集]末弟の郭政良が経営している店舗は以下の店舗である[28][WEB 10]。「郭 政良 味仙」の屋号を用いる[WEB 24]。
- 焼山店 - 愛知県名古屋市天白区焼山2-419
- 1987年(昭和62年)11月開店[35]。
- 豊田店 - 愛知県豊田市小坂本町1-6-4 ウェルネス豊田1F[WEB 25]
- 2016年8月開店[WEB 27]。2021年末頃閉店。
- 2017年3月開店[WEB 28]。
- 2019年3月1日開店[WEB 28]。2020年4月より同ビル4階に「はなれ」を開店したが、後に閉店している。
-
焼山店
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]WEB
[編集]- ^ a b c d 名古屋・味仙創業者が明かす「台湾にない台湾ラーメン」の誕生秘話,nippon.com,2021年5月30日
- ^ “店舗案内”. 味仙. 2019年11月6日閲覧。
- ^ “元祖“台湾 ラーメン”の店”. 味仙. 2019年11月5日閲覧。
- ^ 大竹敏之 (2006年8月8日). “台湾にはない台湾ラーメンは名古屋生まれ”. All About. 2019年11月5日閲覧。
- ^ a b 味仙八事店. “会社紹介”. 有限会社味仙. 2019年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月13日閲覧。
- ^ a b c あーたん (2020年2月11日). “【豊田市】ついに豊田市にも!?元祖台湾ラーメンの「味仙」がオープン!”. 号外NET. 2020年2月16日閲覧。
- ^ 「台湾ラーメン」味仙会長の郭明優さんが死去 激辛で名古屋名物に,朝日新聞デジタル,2023年3月30日
- ^ a b c 永谷正樹 (2018年4月17日). “台湾ラーメンの元祖「味仙」にはアメリカン、イタリアン、アフリカンという必殺メニューがある【名古屋を真っ赤に染める】”. メシ通. 株式会社リクルートライフスタイル. 2019年11月8日閲覧。
- ^ a b “【#味仙部 01】名古屋めしの人気店「味仙」矢場店の台湾ラーメン6杯食べ比べ!”. 日刊KELLY (2019年8月7日). 2019年11月8日閲覧。
- ^ a b 信原一貴 (2016年10月11日). “台湾ラーメン「味仙」、東京上陸 「謎メニュー」には理由があった”. 話題. withnews. 朝日新聞社. 2023年4月4日閲覧。
- ^ 安田有理 (2017年12月20日). “「味仙」の台湾ラーメン9杯食べ比べ!通オススメのアメリカン&イタリアン、東京限定味も徹底検証”. Retty. 2019年11月8日閲覧。
- ^ 芝野享平、篠塚辰徳、今井智文「麺で結んだ名古屋と台湾 「味仙」創業者・郭さん死去に惜しむ声」『中日新聞』中日新聞社、名古屋、2023年4月3日、第28868号、22面12版、全国書誌番号:00062088。2023年4月3日閲覧。
- ^ a b “名古屋市天白区「味仙八事店」”. 会社紹介. 有限会社味仙. 2016年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月4日閲覧。
- ^ “2019年8月 味仙 八事店 リニューアルオープン”. 新着情報. 味仙株式会社 (2019年7月11日). 2023年4月4日閲覧。
- ^ “味仙グループの歴史”. 矢場味仙. 株式会社味仙. 2023年4月4日閲覧。
- ^ 阿部晃太朗 (2019年12月27日). “台湾ラーメンのルーツは「辛くない」 あっさりエビ風味”. ナゴヤのトリセツ. 日本経済新聞. 日本経済新聞社. 2023年4月4日閲覧。
- ^ a b じゃらん編集部 (2019年2月19日). “名古屋で超有名な「味仙」。店舗ごとの台湾ラーメンを食べ比べてみた!”. じゃらんニュース. 株式会社リクルートライフスタイル. 2019年11月13日閲覧。
- ^ a b “B2F 台湾料理「味仙」10/25(金)16:00オープン!”. 株式会社大阪マルビル (2019年10月24日). 2019年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月13日閲覧。
- ^ “台湾料理 味仙”. 株式会社味仙本店. 2005年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月4日閲覧。
- ^ 中部空港の味仙が撤退へ 20日最後に休業,中日新聞Web,2021年6月18日
- ^ 中部国際空港に「矢場味仙」、3月24日オープン,TRAICY,2022年3月14日
- ^ “無職の再犯率3倍強 出所前の就職先確保に向け、支援強化 法務省”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2020年11月2日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月4日閲覧。
- ^ a b “「味仙」の台湾ラーメン東北へ 福島県郡山市で姉妹店”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2012年12月9日). 2023年4月4日閲覧。
- ^ かずあっきぃ「かずあっきぃのラーメン探訪記」『ファイナンス』第643号、財務省、東京、2019年6月14日、56頁、ISSN 0448-6072、全国書誌番号:00020518、2023年4月3日閲覧。
- ^ “2020年2月 味仙 豊田店 グランドオープン”. 新着情報. 味仙株式会社 (2020年1月29日). 2023年4月4日閲覧。
- ^ a b c “店舗紹介”. 味仙. 2019年11月6日閲覧。
- ^ “郭 政良 味仙が東京神田に8/2(火)オープン!”. 新着情報. 味仙株式会社 (2016年7月4日). 2023年4月4日閲覧。
- ^ a b “2019年3月 東京ニュー新橋ビル店 グランドオープン”. 味仙. 2019年11月6日閲覧。
書籍
[編集]- ^ 国方学 2019, p. 71.
- ^ 国方学 2019, p. 73.
- ^ 国方学 2019, p. 74.
- ^ 国方学 2019, p. 85.
- ^ 国方学 2019, p. 93.
- ^ 国方学 2019, pp. 94–96.
- ^ 国方学 2019, p. 97.
- ^ 国方学 2019, p. 98.
- ^ 国方学 2019, p. 105.
- ^ 国方学 2019, p. 104.
- ^ 国方学 2019, p. 165.
- ^ 国方学 2019, p. 42.
- ^ a b c d e f g 大竹敏之 2015, p. 36.
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- ^ なごやめし研究会 2005, p. 69.
- ^ a b c d 国方学 2019, p. 114.
- ^ a b c 国方学 2019, p. 172.
- ^ a b 国方学 2019, p. 173.
- ^ a b c d e 国方学 2019, p. 174.
- ^ a b 国方学 2019, p. 175.
- ^ a b c d e 国方学 2019, p. 176.
- ^ 国方学 2019, p. 177.
- ^ 国方学 2019, p. 53.
- ^ 国方学 2019, p. 55.
- ^ 大竹敏之 2012, p. 10.
- ^ 大竹敏之 2012, p. 9.
- ^ 大竹敏之 2012, p. 11.
- ^ a b c d e 国方学 2019, p. 52.
- ^ a b c 国方学 2019, p. 121.
- ^ a b 国方学 2019, p. 122.
- ^ a b c d e f 国方学 2019, p. 123.
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- ^ 国方学 2019, p. 116.
- ^ 国方学 2019, p. 117.
- ^ a b 国方学 2019, p. 118.
- ^ 国方学 2019, p. 125.
参考文献
[編集]- なごやめし研究会『なごやめし』双葉社〈双葉文庫〉、2005年3月20日。ISBN 4-575-71293-0。
- 大竹敏之『名古屋メン』リベラル社、2012年6月3日。ISBN 978-4-434-16665-5。
- 大竹敏之『名古屋めし』リベラル社、2015年7月21日。ISBN 978-4-434-20860-7。
- 国方学『台湾ラーメン 味仙の秘密』ブックショップマイタウン、2019年1月1日。ISBN 978-4-938341-31-2。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、味仙に関するカテゴリがあります。