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周 邵(しゅう しょう、? - 黄龍2年(230年))は、中国三国時代の呉の武将。父は周泰。
黄武2年(223年)[1]、騎都尉の官にあり、濡須口の戦いで魏の曹仁の侵出を防ぎ、戦功を挙げた。
黄武7年(228年)[1]、石亭の戦いでの曹休撃破にも貢献し、裨将軍に昇進した。
黄龍2年(230年)に死去。弟の周承が兵士と侯の爵位[2]を継いだ。
- ^ a b 『三国志』呉書 呉主伝
- ^ 明記はされていないが、周邵も父の爵位(陵陽侯)を継いでいたものと推測される。