コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

呉光鮮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉光鮮
生誕 1896年5月14日
朝鮮国京畿道龍仁郡
死没 (1967-05-03) 1967年5月3日(70歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織 韓国光復軍
大韓民国陸軍
最終階級 准将(韓国陸軍)
墓所 国立ソウル顕忠院愛国志士墓域36号
テンプレートを表示

呉 光鮮(オ・グァンソン、吳光鮮、오광선)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国軍人

経歴

[編集]

1896年5月、京畿道龍仁に生まれる。満州に渡り新興武官学校を卒業。独立軍に参加し、西路軍政署の第1大隊中隊長、新興武官学校教官、別動隊長、警備隊長を歴任した。1933年2月、中央陸軍軍官学校洛陽分校韓人特別班教官。1937年1月、北京で日本の警察に逮捕され3年間服役した[1]。釈放後は再び満州で活動した。終戦後は光復軍国内支隊長。1946年1月、陸海空軍出身同志会訓練部長[2]。1947年、大同青年会訓練院長[3]

1949年、陸軍士官学校第8期特別第1次任官[4]、任大領(軍番12441番)、護国軍第101旅団長[5]。1949年、ソウル兵事区司令官[6]朝鮮戦争では、江原道地区兵事区司令官兼戒厳民事部長(1950年)、忠清南道地区兵事区司令官、済州地区兵事区司令官(1952年2月)、韓国勤務団朝鮮語版第100師団長(1953年1月)[7] を歴任した。休戦後は大田地区衛戍司令官、全羅北道地区兵事区司令官を歴任。1956年7月、予備役編入。

1962年、建国勲章独立章受章[1]

2015年5月、戦争記念館が「5月の護国人物」に選定[1]

出典

[編集]
  1. ^ a b c “「5月の護国人物」呉光鮮先生” (朝鮮語). 連合ニュース. (2015年4月30日). http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/04/30/0200000000AKR20150430048900043.HTML 2016年3月3日閲覧。 
  2. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、69頁。 
  3. ^ 編年資料 大韓民国史「大同青年会結成」” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年3月3日閲覧。
  4. ^ 6・25戦争史 第1巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 332. 2016年11月18日閲覧。
  5. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、204頁。 
  6. ^ 編年資料 大韓民国史「護国10勇士の合同慰霊祭挙行」” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年3月3日閲覧。
  7. ^ 한국노무단 10만명도 작전을 수행하였다. (PDF)
軍職
先代
-
大韓民国の旗 大韓民国陸軍江原道地区兵事区司令官
初代:1950.10.16 - 1951.2.2
次代
高時福
先代
李炯錫
大韓民国の旗 大韓民国陸軍忠清南道地区兵事区司令官
第2代:1951.4.6 - 1952.1.20
次代
李大永
先代
李大永
大韓民国の旗 大韓民国陸軍済州道地区兵事区司令官
第3代:1952.1.8 - 1953.1.27
次代
趙禧増
先代
金学聲
大韓民国の旗 大韓民国陸軍全羅北道地区兵事区司令官
第6代:1955.3.29 - 1956.7.9
次代
金志赫