吉野橋 (中村川)
表示
吉野橋 | |
---|---|
吉野橋。下流側より | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 神奈川県横浜市南区 |
交差物件 | 中村川 |
建設 | 1926年 |
座標 | 北緯35度26分03.2秒 東経139度36分55.6秒 / 北緯35.434222度 東経139.615444度 |
構造諸元 | |
形式 | アーチ橋・桁橋 |
材料 | 鉄筋コンクリート、鋼板 |
全長 | 35.3m |
幅 | 22m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
吉野橋(よしのばし)は神奈川県横浜市南区の中村川に架かる、鎌倉街道(神奈川県道21号横浜鎌倉線)の橋である。
歴史
[編集]大岡川と中村川との分流点近くに位置し、上下各2車線の鎌倉街道を通す。鎌倉街道の地下には横浜市営地下鉄ブルーライン、中村川の直上には首都高速神奈川3号狩場線の高架橋が通る。左岸は南区吉野町五丁目、右岸は同宮元町一丁目となる。
関東大震災の復興事業として1926年(大正15年)に架けられたものであり、両岸寄りのコンクリート製のアーチ状の橋台(アバット)と中央の鋼製桁橋を組み合わせた「復興式」と称する構造となっている[1]。橋の建設が決まった時点では、まだ吉野町の町名はなく、復興局は「新葭谷橋」の名称を提示。市側は、吉田新田の用水路の取水堰があり、堰大明神が祭られていたことから「元堰橋」の名称を希望した。本橋所在地の新町名案が芳野町、葭谷町を経て吉野町に決まり、地元住民は「吉野橋」の名称を希望。最終的に、これが橋名に採用された[2][3]。横浜市電は下流側の共進橋を渡り横浜勧業共進会会場(現在の横浜市立共進中学校)を目指していたが、弘明寺への延伸が決まると、本橋を渡る経路に変更され、昭和40年代まで運行された[2]。1991年(平成3年)には、同じ中村川の西之橋、浦舟水道橋とともにかながわの橋100選に選定された[1]。また、2019年3月26日には、横浜市認定歴史的建造物に認定された[4]。
隣接する橋
[編集]- 中村川
(大岡川からの分流点) - 葭谷橋 - 吉野橋 - 共進橋 - (下流側)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 池田尚治『かながわの橋100選写真集』神奈川県、1992年、24頁 。
- 関野昌丈『かながわの橋』神奈川合同出版 かもめ文庫、1981年11月30日、44頁。
- 小寺篤『よこはまの橋・人・風土』秋山書房、1983年10月8日、94-96頁。
- “現存する「復興型」震災復興橋梁 『吉野橋』を歴史的建造物として認定しました!”. 横浜市記者発表. 横浜市都市整備局都市デザイン室・道路局橋梁課 (2019年3月28日). 2020年5月2日閲覧。