吉野彦助
表示
吉野 彦助(よしの ひこすけ、元和2年(1616年) - 元禄14年11月5日(1701年12月4日))は、江戸時代前期の開拓者[1]。
経歴・人物
[編集]加賀藩領能登羽咋郡杉野屋村の豪農の家に生まれる[1][2]。藩の許可を受け万治2年(1659年)より邑知潟南岸の新田開発を始める[1][2]。寛文5年(1665年)にこの新開地に掘替新村と呼ばれる村が立てたれ、彦助は弟の七兵衛と共に移住[2]。延宝元年(1673年)には藩命により里子4人が移住し、284石の新田を造成[2]。
伝記
[編集]- 『邑知潟埋立古図 : 附・加賀藩埋立開墾の始祖吉野彦助の業歴』石川県図書館協会、1934年。